kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

テレビ時代劇『新・座頭市』第1シリ-ズ

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神戸で出来の悪い会社員をヤッテタ頃、勝新太郎さん主演の大映映画『悪名』にハマッテ、勝さんのせりふ河内弁を真似て三宮、元町で与太っていました。その勝新太郎さんの代表作である座頭市第6話「師の影に泣いた」に出演できるとあって張り切って京都へ行きました。大映映画の座頭市シリ-ズの第3作で田中徳三監督による初のカラ-作品映画『新・座頭市物語』の内容を焼き直したのがテレビ時代劇『新・座頭市』第6話「師の影に泣いた」です。映画では河津清三郎さんが演じた座頭市の剣の師匠である伴野弥十郎役をテレビ版では、我が師匠丹波哲郎さんが演じていて、映画に負けない印象を残しています。私は冒頭に登場する座頭市を親分の仇とつけ狙い、めしやで返り討ちに遭うやくざの役で、座頭市に髷を斬られてしまいます。やくざが髷を斬られるシ-ンは座頭市ではお馴染みの名場面ということで結髪さんに初めから髷が糸一本でしか繋がっていない仕掛けをして貰って(これは勝さんの提案で本職の結髪さんより詳しく注文を付けいました。勝さんは眼の不自由な方の歩き方、身体のこなし等、研究心が旺盛で凄い人なんだなあと感心をした記憶があります)一瞬の立ち回りのあと私の髷が落ちてザンバラ髪になるまでをワンカットで撮ることになっていました。勝さんから付きっきりで芝居を教えていただき20回以上もテストをしましたが、結局、うまくいかずにタオルをかぶり編集で誤魔化しています。勝さんは怖そうな顔に似合わず、ダメな私相手でも根気良く丁重に教えてくださる優しい方でした。 著作権の関係で写真を載せられませんので、無いよりマシだと思って神戸時代私が仕事をしている写真を載せました。それからいつもお願いしていますが、電子書籍パブ-より出版しました ”映画『八甲田山』のふんどし男75”も期間限定ですが無料ですので、暇つぶしに読んで下さい。感想を聞かせてくだされば次回作の参考にしますので、「よろしゅう おたの 申します。」

テレビ特撮ドラマ『快傑ズバット』

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宮内洋君は丹波哲郎プロの後輩俳優ですが、丹波さんとのつき合いは私よりも古い丹波一門の兄弟弟子です。彼は東映特撮ドラマに早くから主演していて、このジャンルではスタ-です。人呼んでさすらいのヒ-ロ-『快傑ズバット』は小林旭さんの主演で大ヒットした日活映画『ギタ-を持った渡り鳥』をイメ-ジして制作された特撮ヒ-ロ-物で、その独特過ぎる世界観を理解するのは私には無理だとおもいました。知識として宮内君が仮面ライダ-V3や秘密戦隊ゴレンジャ-のアオを演じていた程度のことは知っていますが、私は、東映の特撮ドラマは全く見たことがありませんでしたし、特撮ドラマは子供向け番組ということで、正直なところ、少なからず偏見を持っていました。丹波プロの山崎社長に「宮内君の作品だし、一度やってみないか?」と言われたんで仕方なく出演することにしました。私が出演したのは第9話「涙の河を振り返れ」です。「鉄の爪か釣り師十兵衛のどちらかの役を選ぶように」言われて、台本を読んでみると悪の組織ダッカ-の下部組織であるTTT団の首領「鉄の爪」の方が私に合っていて、特にキャラクタ-を作り込まなくても私の素に近い現代やくざのイメ-ジで演じられると思いました。釣り師十兵衛の役は同じ丹波プロの後輩俳優三島新太郎君にピッタリだと考えて、私は「鉄の爪」役を選びました。ロケ撮影が中心で、埼玉県川口市にあった鋳物工場の廃炉でレギュラ-出演者の大城信子さんが演じている飛鳥みどりをTTT団が宙吊りにするシ-ンと宮内君との立ち回りシ-ンを撮っています。悪の組織ダッカ-の首領「L」と私の演じた「鉄の爪」の対話のシ-ンの撮影は東映大泉撮影所のセットです。田中秀夫監督に「このジャンルの演技は、普段やっている芝居よりオ-バ-にやってください」と言われたんで、結構クサイ芝居になっていると思いますが指示通りにやりました。「鉄の爪」はほとんどのシ-ンで黒いサングラスをしているんですが「どこかの場面で鉄の爪の素顔を見せましょう」と田中監督さんが提案してくれたんで、宮内君演じる早川健から毒薬を受け取るシ-ンでサングラスを外しました。本物のヤクザと間違われるク-ルな二枚目原田君事のサ-ビスカットです。このジャンルの仕事は初めての経験でしたが、まだ若かったこともあり、立ち回りはそこそこ動けていた方ではないかと思っています。ただ、快傑ズバットを相手にした立ち回りのテストでムチで打たれた受身の際に激痛が走ったんで、普段は地面に右手をついた受身を本番では左手に変更してやりました。テレビドラマ『水滸伝』の撮影で暴走した馬から飛び降りて右肩を骨折したまま放っておいたせいなんですが当時私は35歳。自分の身体を過信していました。最初こそ偏見を持って臨んだ撮影でしたが普段の仕事よりセリフが多くて、実は途中からすごく楽しくなってきたのを覚えています。俳優を辞めてからも「子供の頃、『快傑ズバット』観ていました。原田さんって「鉄の爪」演ってた方ですよね?」どこで調べたのか、若い人に声を掛けられることがありました。宮内君のことも質問されて、後輩なんで私が「宮内は・・・」と呼び捨てにして話していると「宮内さんは、僕らから見ると神様ですよ」と言っていました。Twitter、Facebook等で調べてみると東映の特撮ドラマが大好きな若い人が多いですね。昭和の特撮ドラマのロケ地について調べている人が何人もいて、知っている情報をお互いに交換したりしているのは実に楽しそうです。HIROさんなどが立ち上げているコ-ナ-を拝見すると過去に放送された特撮ドラマについて熱心に語る特撮ファンの層の厚さに今更ながら驚きを隠せません。こんなにファンが多くて、いつまでも覚えていてくれるんだったら、悪役でもいいからもっと特撮ヒ-ロ-物の仕事を取って来てもらえばよかったと今更ながら後悔しています。「子供向けなんて」という偏見にこだわって本当にどうしようもない馬鹿者です。  写真は著作権の関係で使えないので関係の無いものを載せます。又、お知らせですが電子書籍パブ-より出版しました”映画『八甲田山』のふんどし男75”を期間限定ですが無料でダウンロ-ド出来るようにしていますので、ぜひ読んでみてください!

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時代劇スペシャル『牢獄の花嫁』~連続殺人の謎に挑む父の愛~

 

 

 

監督/渡邊祐介。出演/丹波哲郎丹波義隆坂口良子、垂水吾郎、野際陽子宮内洋、原田君事。原作/吉川英治。1981年。丹波企画・松竹・フジテレビ。丹波哲郎さん演じる引退した与力の塙江漢が殺人事件の下手人として捕らえられた息子の無実を晴らすために50日の期限を貰って真犯人を追うという展開の時代劇です。捕らえられた塙江漢の息子を演じるのは丹波さんの息子、俳優の丹波義隆さんで親子共演となりました。「お前は神戸出身のせいかせりふの喋るテンポが遅いから老人役を試してみろ」と丹波さんに言われて39歳だった私が初めて老け役に挑戦しました。私は当時、この『牢獄の花嫁』が丹波企画の制作なんで丹波さんに配役決めの権利があったんだろうと思っていたんですが、丹波さんが亡くなってから「丹波哲郎を偲ぶ会」でお会いしたこの作品のプロデュ-サ-だった高橋信仁さんに話を聞いて初めて知った事がありました「両替屋の佐渡平という年寄りの役は、うちの原田を使ってくれないか」と丹波さんが渡邊祐介監督に頼んだところ「老け役を得意としている役者さんは他にも沢山いるのに、何もまだ若い原田さんを無理に使わなくてもいいのではないか」と渡邊監督は反対されたそうです。意見の通らなかった丹波さんは「そうか、それじゃこの仕事は降ろさしてもらう」と言って原田君事を両替屋の佐渡平役にすることにこだわったそうで、そんなやりとりがあったことを教えてくださった高橋プロデュ-サ-から「原田さん、貴方は丹波さんに凄く可愛がられていたのですね」と言われて感激しました。時代劇専門チャンネルで放送されていたんで、久しぶりに観ましたが、18年間役者をやってきて一番いい芝居をやっていると思います。自画自賛ですが他の出演作での私の芝居は酷過ぎるんで、ハラハラしないで観ることができる位の意味だと思ってください。

 

 

映画『仁義なき戦い/代理戦争』

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監督/深作欣二。出演/菅原文太小林旭渡瀬恒彦・梅宮辰夫・室田日出男丹波哲郎。映画『仁義なき戦い』の第3作ですが、この『仁義なき戦い/代理戦争』こそが第1作の集団抗争劇を時系列的に引き継ぐ続篇としてふさわしい内容になっています。第2作の『仁義なき戦い/広島死闘篇』は山中正治と大友勝利(北大路欣也さんと千葉真一さん)という二人のやくざに焦点を合わせた展開で私は大好きなんですが集団抗争劇の『仁義なき戦い』の中では番外篇的扱いが相応しい気がします。留めのスタ-と言われた我が師匠、丹波哲郎さんは明石組組長の明石辰男役で出演しています。出演と云ってもほぼ白黒写真での登場なんですが明石組組長の実在のモデルは神戸の山口組三代目田岡一雄さんです。私は

抱き合わせ出演で早川組組員の谷川義明を演じています。早川組は明石組系打本会に所属していて、映画には打本会事務所の看板の前で撮影した白黒の集合写真が大きく出てくるんですが、写真の中央、打本会長役の加藤武さんの背後で事務所看板の右側に私が写っています。早川組組員役の私は早川組組長役の室田日出男さんの側に付いていて、室田さんが小林旭さん演じる村岡組幹部の武田と電話してる場面では室田さんの横に立っていて結構目立っています。その後、早川組は打本会を裏切ってパチンコ屋の2階にある打本会事務所を襲撃します。銃弾が乱れ飛び2階からトイレットペ-パ-が大量に降ってくるなど襲撃現場は大混乱で、銃撃戦にはもちろん参加しています。白バイのサイレンが聞こえてくると車に乗っていた早川組組長の室田さんはビビッて一人で逃げてしまいます。置き去りにされた私たち組員はあたふたしながら白バイから逃げ回ります。「文章だけではつまらないので、写真を載せたいんですが著作権の問題があるので映画とは関係はありませんが個人的に親しいスチ-ルマンに撮ってもらつた写真がありますのでそれを載せます。」 

映画『神戸国際ギャング』

監督/田中登。 出演/高倉健 菅原文太 丹波哲郎。1975年公開。東映京都撮影所。                               戦後の神戸三宮を舞台にした軽快なジャズの流れる映画『神戸国際ギャング』に丹波哲郎さんは三国人連盟の会長の朴役で出演され、私は朴会長の代貸し役で丹波さんの横に付いています。劇場のロビ-カ-ド用に撮られたカラ-スチ-ル写真の中に私が写っているお気に入りの1枚が我が家にあります。三国人連盟の朴会長の事務所に団正人と大滝健三が乗り込んできた場面で応接セットの左右で両者が睨み合うカットなんですが、日本映画界を代表する俳優である高倉健さん・菅原文太さん・丹波哲郎さんそして私という4大スタ-(?)の競演写真です。この作品は高倉健さんの東映専属最後の作品で、菅原文太さんと共演した最後の作品でもあります。健さんの役柄は任侠映画のいつもの健さんとは別人のようで、ラストの両者共倒れの展開も含めて賛否が別れる気がします。文太さんの機関銃射撃を受けた健さんの姿が静止画になって、映画は健さんの死を暗示するんですが、実際の撮影では健さんは銃撃を受けた後、階下まで落下して大怪我をすることになります。この作品で健さんが演じる団正人の実在のモデルは神戸の愚連隊から菅谷組組長に勢力を拡大した菅谷政雄さんです。本来は東映の実録やくざ路線の作品として分類されるはずなんですが、この映画『神戸国際ギャング』には実録やくざ路線の匂いどころか東映映画の匂いすらしない仕上がりになっています・・・・。でも私、原田君事としては、やくざ映画に出演した

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くって俳優になり、神戸を舞台にした作品で、やくざの役を演じ、高倉健さん・菅原文太さん・師匠、丹波哲郎さんと一緒に写ったロビ-カ-ドまである夢を実現させた作品です。著作権の問題があるのでここでは写真を載せることが出来ないのは残念ですが、他で見てください。

                                                             

原田君事からのお知らせ

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華やかなスタ-たちが銀幕を彩った映画の黄金期はすでに去り、時代は、日本映画が衰退期に入った1967年頃、厳しい現実が待っている松竹大船なのですが、そのときの私は何も分らず、人に煽てられ。ただ映画スタ-になれると信じて親の反対を押し切り、ボストンバッグ2つを持って、見送りに来た当時付き合っていた彼女を神戸駅のホ-ムに残したまま夜行列車「銀河」に飛び乗りました・・・。                               電子書籍パブ-より出版しました、原田君事の18年間の俳優時代を書き綴った”映画『八甲田山』のふんどし男75”を一人でも多くの方に読んでいただきたいという想いから、期間限定ですが、1200円を無料でダウンロ-ド出来るようにしましたので、暇つぶしにみてくだされば、無い知恵を振り絞って書いた私としては幸せです!       

恩人 松井八郎先生を偲んで(1)

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作曲家/ジャズピアニスト。淡谷のり子、春日八郎、越路吹雪森繁久弥などの歌手へ楽曲を提供。ハナ肇の才能を見出し、メジャ-デビュ-のきっかけを作った。日本映画の音楽も担当し、代表作は映画『三等重役』東宝。映画『大当たり狸御殿』宝塚映画/東宝。映画『ジャンケン娘』東宝。映画『サザエさんの青春』東宝。映画『生きものの記録』東宝。映画『青島要塞爆撃命令』東宝。松竹大船撮影所の俳優部を退社して、世の中が大阪万博日本万国博覧会)の開幕に浮かれている頃、銀座のクラブで働いている女性に飯を食わせて貰いながら「俺はいったい何をやってんだろう。フリ-の俳優なんて単なるいい訳だし、外人専門クラブのママのボディガ-ドやホテルオークラのキッチンで鍋洗いをするために親父の反対を押し切って神戸から出てきたんじゃない。心機一転、とにかく何とかしなくっちゃ!と普段使い惜しみをしていた悩ミソを絞り出して真剣に将来を考えるようになりました。考えれば考えるほど遠ざかっていた芸能界や役者の仕事にまた戻りたいという気持ちが強くなり、藁にもすがる気持ちで電話をしたのが日本作曲家協会です。石原裕次郎さんのヒット曲「泣かせるぜ」「逢えるじゃないかまたあした」の作詞家、滝田順さんが経営をしていた青山のクラブでアルバイトをしていたときにお客さんとして店に来られていた作曲家の松井八郎先生の自宅の電話番号を尋ねました。糸くずほどの細い縁であっても、頼んでみなけりゃ分りません。たとえ出たとこ勝負でも突き進むしか仕方ないんです。