kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

原田君事と舞台『湯島の白梅』

f:id:kunji5522:20180514212749g:plain

お悔やみ申しあげます。何故、私がブログを書く気になったかと言いますと、津川雅彦さんと朝丘雪路さんが結婚をされるきっかけとなった、名古屋 御園座 1ヶ月公演『湯島の白梅』『お富与三郎』舞台の公演中、傍で見ているとすごく仲がよく、あれっと思っていたら公演が終わって何日後かは忘れましたが、結婚のニュ-スが流れ、成る程と微笑ましく思ったことが思い出されました。中丸忠雄さんが出演する予定だった舞台で私は付き人を兼ねて抱き合わせの出演ということだったらしいのですが、事情があって中丸さんの出演は取り止めになり勉強のためと私だけが出演することになりました。中丸さんの代役は津川雅彦さんでした。『湯島の白梅』で私は刑事の役で舞台の下手から主役の林与一さん(早瀬主税 役)を尾行するという芝居です。結髪さんの処へ行くと、地毛のままでカツラは被らなくてもいい言われたのでそのまま何もせずに舞台に出ました。初日の舞台がはねて、演出を担当されていた名優 柳永二郎先生からダメ出しがあったんですが「この中に、現代の頭のまま舞台に出ている者がいる」と怒っています。出演者全員に緊張が走りました。シーンとしたまま、誰なのかなぁと思っていたんですが誰も手を挙げない。「あれ、ヒヨッとして俺のことなのか?」と思い、恐る恐る「私のことですか」と訊きました。「そうだ!君だよ!」「津川雅彦君は、この舞台のために髪の毛を切って臨んでいるんだよ!」と言うのです。「分りました。明日切ってきます」と答えますと「切って来いとまでは言ってないけどね。ただ、演出をする者としてはね、現代の頭で出られては困るんだっ」と叱られました。要するに頭髪を舞台背景である明治期の男のようにしろ、と云うことで、七三分けがダメだったらしいのですが、それが分らないから結髪さんに相談に行ったんで、結局釈然としないまま。翌日、開演する前に近所の散髪屋へ行って短く切ってもらいました。夜、舞台がはねて風呂へ行くと柳永二郎先生の弟子の人に会いました。演出する人は誰かを槍玉に挙げてその場の緊張を高めたり雰囲気を盛り上げたりする手を使うみたいですが柳先生もそれをやられるようで。「うちの先生が、まさか本当に髪を切ってくるとは思わなかったと、びっくりしていました」と言うのです。原田君事は槍玉に挙げるための小道具として使いやすいようです。この話しのつづきを電子書籍パブ-より出版した、映画『八甲田山』のふんどし男75 に載せていますので期間限定無料でダウンロ-ドできますので、読んでみて下さい。

 

映画『赤穂城断絶』

映画『柳生一族の陰謀』を大ヒットさせた深作欣二監督が撮る忠臣蔵は今までの常識を打ち破るような奇抜な忠臣蔵になると予想していましたが、完成した映画『赤穂城断絶』を観たところ意外なほど定石通りに撮られた印象でした。噂では深作監督と大石内蔵助を演じた萬屋錦之介さんの間で意見が合わず、監督が撮りたかった忠臣蔵にはならなかったと聞きました。15年後に再び忠臣蔵を題材した映画『忠臣蔵外伝/四谷怪談』を深作監督は松竹で撮っているんで『赤穂城断絶』のときに納得のいかない思いが残っていたんではないかと勝手に想像してしまいます。丹波さんの役は江戸幕府五代将軍徳川綱吉側用人柳沢吉保で、私が言うのはおこがましいが、いつもの丹波さんらしい安定感のある演技をされています。私の役は上杉家の家老千坂兵部の部下で本所松坂町にある吉良上野介の屋敷に護衛のため詰めている大須賀治郎右衛門です。ラストの大石内蔵助率いる赤穂浪士の討ち入りシ-ンでは私は納戸の中で身を縮めて、さらに自分の周りを女中たち6~7名に囲ませて存在が判らないように隠れているんですが、見つかって斬られてしまいます。電子書籍パブ-より出版しました映画『八甲田山』のふんどし男75を期間限定、無料でダウンロ-ドが出来るようにしてますので、まだの人は読んでみて下さい。(原田君事よりお願い!)

映画『ポルノ時代劇 亡八武士道』

f:id:kunji5522:20180514212749g:plain

監督/石井輝男。出演/丹波哲郎伊吹吾郎ひし美ゆり子内田良平。1973年公開。東映小池一雄小島剛夕による劇画が原作の映画化で、この頃『影狩り』や『ゴルゴ13』『子連れ狼』『御用牙』などの劇画の映画化が流行っていました。原作を読んで気に入ったマネ-ジャ-が丹波さんに進言して映画化権を買っていたようです。監督は当初、丹波さんの希望で深作欣二監督に打診しました。深作欣二監督の名前が世間的に広まるのは東映映画『仁義なき戦い』からですが、丹波さんは深作監督の助監督時代から親しく、その才能に目をつけていたんだと思います。京都の金閣寺の近くにあるサウナへ丹波さんと深作監督と私の3人で行って『亡八武士道』の監督を引き受けて欲しいと話したんですが、このとき深作監督は東映京都撮影所での『仁義なき戦い』の撮影が決まっていて忙しく実現はしませんでした。結局『亡八武士道』の監督は高倉健さんの東映映画『網走番外地』で有名な石井輝男監督になったんですが、もし丹波さんが深作監督にこだわったとしても『仁義なき戦い』の大ヒットで深作監督には続編の依頼が次々と舞い込んでくることになるんでスケジュ-ルは空かなかったと思います。最初の『仁義なき戦い』が公開された1973年だけで『仁義なき戦い』『仁義なき戦い/広島死闘篇』『仁義なき戦い/代理戦争』と3本も公開されています。ちなみに第3作の東映映画『仁義なき戦い/代理戦争』には私も早川組組員として出演させてもらっています。金閣寺近くのサウナまでの車中で深作監督は「原田君、今は丹波さんの処に居るのか?」と声を掛けてくれました。松竹映画『恐喝こそわが人生』や『黒蜥蜴』には出演していますが、あれから3年ぶりで、ましてやクレジットに名前もでない端役の私なのにビックリして「え、私の名前を知っているんですか?」と訊き返しました。深作監督は私のような大部屋俳優の名前を覚えていてくださる凄い監督さんです。映画『ポルノ時代劇/亡八武士道』は吉原遊郭が舞台だけにお色気シ-ンが全篇にちりばめられています。題名の頭に『ポルノ時代劇』とついているんでタイトルだけで判断して観るのを敬遠する人もいるかと思いますが豪快なチャンバラの面白さがたっぷりで、本格的時代劇プラスお色気というお得感のある映画になっていて十分堪能できます。地獄に生きる剣客・明日死能を熱演する丹波さんの魅力全開で、丹波さんの出演作の中でも私のお気に入りの1本になっています。石井輝男監督の演出が冴え渡り、オ-プニングとラストの立ち回りは大勢の捕り方相手に一歩も引かず斬って斬って斬りまくる丹波さんが凄まじい迫力です。斬られた捕り方の手足や耳、そして生首が勢いよく宙を飛び、血しぶき噴出の残酷描写も見逃せません。主演の丹波哲郎さんの脇を固めるのがテレビ時代劇『無用ノ介』で売り出した伊吹吾郎さんと特撮テレビドラマ『ウルトラセブン』のアンヌ隊員で有名なひし美ゆり子さん、それに『影狩り』で日光を演じた内田良平さんです。ひし美ゆり子さんが思いきりよく脱いでいるのも話題になりました。私の役は吉原遊郭の三浦屋という女郎屋にいる亡八者のひとりで、おでこの左右を深く剃りこんだM字の髷を被っているんでよく目立ちます。撮影は太秦東映京都撮影所。さむらいプロダクションからも大勢の俳優が出演していましたので一日の撮影が終わるとネオン街へ繰り出して遊びまくっていました。この映画の撮影で一月くらい京都にいましたが楽しい仕事でした。写真を載せればより楽しいのですが、著作権の都合で載せることができません。それから、電子書籍パブ-より出版しました ”映画『八甲田山』のふんどし男75”も期間限定ですが無料でダウンロ-ドできますので、暇つぶしに読んで下さい。

映画『樺太1945年夏 氷雪の門

f:id:kunji5522:20180513224140j:plain

監督/村山三男。出演/二木てるみ岡田可愛藤田弓子丹波哲郎。1974年一部地域のみ公開JMP・東映洋画部配給。終戦の年の8月、樺太の真岡郵便局の電話交換手たちに起こった悲劇を中心に、樺太に住んでいた日本人に降りかかった終わったはずの戦争に巻き込まれた民間人の悲惨さを正面から描いた問題作です。映画『樺太1945年夏 氷雪の門』は長年幻の映画とされてきたんですが、出演してから37年以上経って漸くDVDで発売されて観ることができました。最初に決まっていた東宝配給による劇場公開がソ連のモス・フィルムからのクレ-ムを受けて白紙に戻されたとか、その後に決まった東映洋画部配給によるパラス系での映画館上映の予定も北海道と九州の一部地域を除いて何らかの圧力で中止になったため、私は、出演したにもかかわらず制作当時にこの作品を観ることができませんでした。それに当時は何も知らされてなかったんで、上映できなかった理由を知ったのも最近で、しかもインタ-ネット情報です。丹波さんは豊原の大本営にいて対ソ連戦の作戦を立てる鈴木参謀長として出演されました。ソ連の参戦の連絡を受けて各部隊に通達命令を出す一方で「積極的に攻撃するも、越境すべからず」と実質的にソ連軍の侵攻を容認するような命令を方面軍より受けて愕然とし、島田正吾さん演じる二木師団長に「上層部はそれでよいかもしれませんが、将兵たちは最前線です。戦うに戦えず、進むに進めないような命令では死んでも死にきれんと思います」と訴える場面はいつもの安定した存在感たっぷりの演技をされています。また、天皇陛下玉音放送があり、各部隊に停戦・武装解除命令を出したあとの8月16日になってから方面軍打電の電報【先ニ停戦ノ武装解除、軍旗奉焼ニツキ指示シタルモ、自衛ノタメノ戦闘ハ、アクマデモ継続スベシ】に激怒して「何っ!自衛のための戦闘?自衛のための戦闘とはいったいどういうことだっ!」その迫真の演技に、やっぱり、うちの師匠が出演すると作品に重みが出て「違うもんだなぁ」とつくづく感心します。私の役は泰平炭坑病院の医局員です。真岡の電話交換手役の岡田可愛さんの問い合わせを受けて戦局が悪化する中、泰平炭坑病院の状況を知らせる芝居でした。撮影のスケジュ-ルが違うんで、現場で岡田可愛さんに会う事はありませんでしたが別撮りして編集で併せてあるので、戦死していく人々の描写の中では手前味噌ではありますが印象に残るシ-ンになったのではないでしょうか。交換手「泰平炭坑病院ですか?あのっ、あのっ、看護婦さんたちはどうしてますでしょうか?」医局員「町の人はみんな非難しました。看護婦さんは、重病患者がいるので非難できないんです。いえっ、今は手術中・・・」大爆音がして受話器の声が途切れます。受話器の下で息絶えている医局員のカット。『樺太1945年夏 氷雪の門』の撮影現場は福島県だったんですが、この時の私は珍しく売れていて、別の作品で京都撮影と掛け持ちしていて通うのが大変でした。  

テレビ時代劇『新・座頭市』第1シリ-ズ

f:id:kunji5522:20180510160025j:plain

神戸で出来の悪い会社員をヤッテタ頃、勝新太郎さん主演の大映映画『悪名』にハマッテ、勝さんのせりふ河内弁を真似て三宮、元町で与太っていました。その勝新太郎さんの代表作である座頭市第6話「師の影に泣いた」に出演できるとあって張り切って京都へ行きました。大映映画の座頭市シリ-ズの第3作で田中徳三監督による初のカラ-作品映画『新・座頭市物語』の内容を焼き直したのがテレビ時代劇『新・座頭市』第6話「師の影に泣いた」です。映画では河津清三郎さんが演じた座頭市の剣の師匠である伴野弥十郎役をテレビ版では、我が師匠丹波哲郎さんが演じていて、映画に負けない印象を残しています。私は冒頭に登場する座頭市を親分の仇とつけ狙い、めしやで返り討ちに遭うやくざの役で、座頭市に髷を斬られてしまいます。やくざが髷を斬られるシ-ンは座頭市ではお馴染みの名場面ということで結髪さんに初めから髷が糸一本でしか繋がっていない仕掛けをして貰って(これは勝さんの提案で本職の結髪さんより詳しく注文を付けいました。勝さんは眼の不自由な方の歩き方、身体のこなし等、研究心が旺盛で凄い人なんだなあと感心をした記憶があります)一瞬の立ち回りのあと私の髷が落ちてザンバラ髪になるまでをワンカットで撮ることになっていました。勝さんから付きっきりで芝居を教えていただき20回以上もテストをしましたが、結局、うまくいかずにタオルをかぶり編集で誤魔化しています。勝さんは怖そうな顔に似合わず、ダメな私相手でも根気良く丁重に教えてくださる優しい方でした。 著作権の関係で写真を載せられませんので、無いよりマシだと思って神戸時代私が仕事をしている写真を載せました。それからいつもお願いしていますが、電子書籍パブ-より出版しました ”映画『八甲田山』のふんどし男75”も期間限定ですが無料ですので、暇つぶしに読んで下さい。感想を聞かせてくだされば次回作の参考にしますので、「よろしゅう おたの 申します。」

テレビ特撮ドラマ『快傑ズバット』

f:id:kunji5522:20180508133848j:plain

宮内洋君は丹波哲郎プロの後輩俳優ですが、丹波さんとのつき合いは私よりも古い丹波一門の兄弟弟子です。彼は東映特撮ドラマに早くから主演していて、このジャンルではスタ-です。人呼んでさすらいのヒ-ロ-『快傑ズバット』は小林旭さんの主演で大ヒットした日活映画『ギタ-を持った渡り鳥』をイメ-ジして制作された特撮ヒ-ロ-物で、その独特過ぎる世界観を理解するのは私には無理だとおもいました。知識として宮内君が仮面ライダ-V3や秘密戦隊ゴレンジャ-のアオを演じていた程度のことは知っていますが、私は、東映の特撮ドラマは全く見たことがありませんでしたし、特撮ドラマは子供向け番組ということで、正直なところ、少なからず偏見を持っていました。丹波プロの山崎社長に「宮内君の作品だし、一度やってみないか?」と言われたんで仕方なく出演することにしました。私が出演したのは第9話「涙の河を振り返れ」です。「鉄の爪か釣り師十兵衛のどちらかの役を選ぶように」言われて、台本を読んでみると悪の組織ダッカ-の下部組織であるTTT団の首領「鉄の爪」の方が私に合っていて、特にキャラクタ-を作り込まなくても私の素に近い現代やくざのイメ-ジで演じられると思いました。釣り師十兵衛の役は同じ丹波プロの後輩俳優三島新太郎君にピッタリだと考えて、私は「鉄の爪」役を選びました。ロケ撮影が中心で、埼玉県川口市にあった鋳物工場の廃炉でレギュラ-出演者の大城信子さんが演じている飛鳥みどりをTTT団が宙吊りにするシ-ンと宮内君との立ち回りシ-ンを撮っています。悪の組織ダッカ-の首領「L」と私の演じた「鉄の爪」の対話のシ-ンの撮影は東映大泉撮影所のセットです。田中秀夫監督に「このジャンルの演技は、普段やっている芝居よりオ-バ-にやってください」と言われたんで、結構クサイ芝居になっていると思いますが指示通りにやりました。「鉄の爪」はほとんどのシ-ンで黒いサングラスをしているんですが「どこかの場面で鉄の爪の素顔を見せましょう」と田中監督さんが提案してくれたんで、宮内君演じる早川健から毒薬を受け取るシ-ンでサングラスを外しました。本物のヤクザと間違われるク-ルな二枚目原田君事のサ-ビスカットです。このジャンルの仕事は初めての経験でしたが、まだ若かったこともあり、立ち回りはそこそこ動けていた方ではないかと思っています。ただ、快傑ズバットを相手にした立ち回りのテストでムチで打たれた受身の際に激痛が走ったんで、普段は地面に右手をついた受身を本番では左手に変更してやりました。テレビドラマ『水滸伝』の撮影で暴走した馬から飛び降りて右肩を骨折したまま放っておいたせいなんですが当時私は35歳。自分の身体を過信していました。最初こそ偏見を持って臨んだ撮影でしたが普段の仕事よりセリフが多くて、実は途中からすごく楽しくなってきたのを覚えています。俳優を辞めてからも「子供の頃、『快傑ズバット』観ていました。原田さんって「鉄の爪」演ってた方ですよね?」どこで調べたのか、若い人に声を掛けられることがありました。宮内君のことも質問されて、後輩なんで私が「宮内は・・・」と呼び捨てにして話していると「宮内さんは、僕らから見ると神様ですよ」と言っていました。Twitter、Facebook等で調べてみると東映の特撮ドラマが大好きな若い人が多いですね。昭和の特撮ドラマのロケ地について調べている人が何人もいて、知っている情報をお互いに交換したりしているのは実に楽しそうです。HIROさんなどが立ち上げているコ-ナ-を拝見すると過去に放送された特撮ドラマについて熱心に語る特撮ファンの層の厚さに今更ながら驚きを隠せません。こんなにファンが多くて、いつまでも覚えていてくれるんだったら、悪役でもいいからもっと特撮ヒ-ロ-物の仕事を取って来てもらえばよかったと今更ながら後悔しています。「子供向けなんて」という偏見にこだわって本当にどうしようもない馬鹿者です。  写真は著作権の関係で使えないので関係の無いものを載せます。又、お知らせですが電子書籍パブ-より出版しました”映画『八甲田山』のふんどし男75”を期間限定ですが無料でダウンロ-ド出来るようにしていますので、ぜひ読んでみてください!

f:id:kunji5522:20180412095339g:plain

 

時代劇スペシャル『牢獄の花嫁』~連続殺人の謎に挑む父の愛~

 

 

 

監督/渡邊祐介。出演/丹波哲郎丹波義隆坂口良子、垂水吾郎、野際陽子宮内洋、原田君事。原作/吉川英治。1981年。丹波企画・松竹・フジテレビ。丹波哲郎さん演じる引退した与力の塙江漢が殺人事件の下手人として捕らえられた息子の無実を晴らすために50日の期限を貰って真犯人を追うという展開の時代劇です。捕らえられた塙江漢の息子を演じるのは丹波さんの息子、俳優の丹波義隆さんで親子共演となりました。「お前は神戸出身のせいかせりふの喋るテンポが遅いから老人役を試してみろ」と丹波さんに言われて39歳だった私が初めて老け役に挑戦しました。私は当時、この『牢獄の花嫁』が丹波企画の制作なんで丹波さんに配役決めの権利があったんだろうと思っていたんですが、丹波さんが亡くなってから「丹波哲郎を偲ぶ会」でお会いしたこの作品のプロデュ-サ-だった高橋信仁さんに話を聞いて初めて知った事がありました「両替屋の佐渡平という年寄りの役は、うちの原田を使ってくれないか」と丹波さんが渡邊祐介監督に頼んだところ「老け役を得意としている役者さんは他にも沢山いるのに、何もまだ若い原田さんを無理に使わなくてもいいのではないか」と渡邊監督は反対されたそうです。意見の通らなかった丹波さんは「そうか、それじゃこの仕事は降ろさしてもらう」と言って原田君事を両替屋の佐渡平役にすることにこだわったそうで、そんなやりとりがあったことを教えてくださった高橋プロデュ-サ-から「原田さん、貴方は丹波さんに凄く可愛がられていたのですね」と言われて感激しました。時代劇専門チャンネルで放送されていたんで、久しぶりに観ましたが、18年間役者をやってきて一番いい芝居をやっていると思います。自画自賛ですが他の出演作での私の芝居は酷過ぎるんで、ハラハラしないで観ることができる位の意味だと思ってください。