kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

映画『皇帝のいない八月』吉永小百合。

監督/山本薩夫丹波哲郎。山崎務。高橋悦史山本圭渡瀬恒彦。1978年公開 松竹。

 

 右翼政権樹立を目的とした自衛隊による武力ク-デタ-を描いた映画で自衛隊の精鋭部隊に乗っ取られた国鉄のブル-トレイン「さくら」が舞台になっています。

丹波さんは防衛庁統合幕僚会議議長の三神陸将を、いつも通り存在感たっぷりに演じています。

私の役は国鉄下関駅の線路保安作業員で、作業服に黄色いヘルメットを被って登場します。

 

ブル-トレイン「さくら」の客車の下に爆弾のような不審物が仕掛けられたという通報があり下関駅に停車している夜8時15分から5分間で警察官立会いの元、電灯で照らしながら線路と台車の間にもぐり込んで不審物を捜すんですが、何も見つからないんで「別に異常ありませんね」と山本圭さんに報告します。

作業を終えて列車を降りる際に「参った参った」というセリフもありました。

 

 列車の不審物を探すシ-ンの撮影のため北海道の夕張まで行きました。

当時の国鉄から撮影協力が得られなかったからなんですが、現代は廃線になっている三菱石炭鉱業大夕張線の南大夕張駅引き込み線で古い客車に美術スタッフがブル-トレインの外装を簡易的に取り付けて撮影をしました。

私への演技指導を巨匠山本薩夫監督自らやって見せてくださり、その余りの芝居の上手さに感心したのを覚えています。

「俺じゃなくて、監督がやればいいんじゃないの」と内心思いながら見ていました。

普段は撮影で一緒になる役者さんに自分から挨拶に行きもしない私ですが、ブル-トレイン「さくら」の客車セットの撮影をやったときに女優の吉永小百合さんが余りにも美しいので、このときばかりは自分から挨拶に行きました。

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丹波哲郎VS松田優作、映画『ひとごろし』

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 山本周五郎の原作で武芸はまるでダメで臆病な侍による上意討ちの話しです。

一流の剣の使い手で武芸の指南役として藩に抱えられた仁藤昂軒は藩内での評判が良くないため酒に酔ったところを襲撃されますが、逆に返り討ちにします。

丹波さん演じる仁藤昂軒の存在を疎ましく思う一派が昂軒の闇討ちを図るという展開なんですが、私の役は昂軒を襲うも反対に返り討ちに遭ってしまう本間という若侍です。

  

 撮影は太秦大映映画京都撮影所。

 

この仕事の前々日、神戸の家からの電話で「親父が入院した」という連絡を受けて、翌日の朝、神戸に帰りました。

親父さんの顔を見ると、そんなに悪いようには見えなかったんですが、院長が病室に来て

 

「長男の方ですか?」

「はい、そうですが」

「実はお父さんは胃がんの末期です」

「えっ・・・あと、どれくらい持ちますか?」

「身体が衰弱しているので、今は何とも言えません」

親父さんを元気付けようと思い、お袋が傍にいましたが、馬鹿話をして笑わせ、病室の外へ出てお袋に、医者から聞いたことを話しました。

「明日は撮影があるので、これから京都の旅館へ行くから」

親父さんは「あいつは仕事をしているんだから連絡をするな」と言ったらしいんですが、こんな親不幸者の私でもやっぱり人の子。

その夜は余り眠れませんでした。

 

翌日の撮影は台本のシ-ン13です。

 

【配役】昂軒/丹波哲郎。加納/岸田森。本間/原田君事。

 

シーン13 濃い霧の中

 

  待ち伏せる本間、坂口、岸村、もう二人。決闘支度。

  包囲の体形。

  静寂。

  顔、顔、顔。

  手許。刀を握りしめている。

  足音。

  泥酔の昂軒がくる。

  本間たち、草履を脱ぎ捨てる。

  ジリッと詰め寄る。昂軒、よろける。

  顔を起こす。

  本間たち恐怖の反射のように抜刀。

  声。  「待て!やめろ!斬ってはならんぞ!

  駆けつける加納。

  逆に火がついたように――

  閃く。

  絶叫して斬りかかる本間たち。

  昂軒、抜刀。

  本間を斬る。

 

  「言い難いのですが、丹波プロダクションの方から電話があって、早朝、お父さまが亡くなられたそうです」

闇討ちシ-ンの撮影前にテストをしているときです。

 

覚悟はできていましたが、あまりにも急なことで、涙が溢れてきました。

 

泣いている私に独自の死生観を持っている丹波さんは「原田、人間死ぬということは、決して悲しいことじゃないんだよ」と慰めてくださいましたが、

「人のことだからって、よく言うよ」内心思いながら聞いていました。

 

「原田さん押しで撮りますから、もう少しガマンしてください」と申し訳なさそうに大洲監督さん言われ、いくら大根役者の私でも、そこは役者の端くれです。涙をぬぐって中断したテストを終わらせ本番も最後までやり遂げてから新幹線に乗って神戸の実家へ帰りました。

兄弟、親戚がみんな集まって私の帰りを待ってくれていました。

翌日、妊娠7ヵ月になる大きな腹をした女房殿も東京から駆けつけてくれました。

極道亭主には過ぎた女房です。

葬式を済ませてから残りの撮影を終わらせるため京都へもどりました。

 

何か一人前の役者になったような気分でした。

 

 

   

 

 

                              

原田君事と舞台『湯島の白梅』

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お悔やみ申しあげます。何故、私がブログを書く気になったかと言いますと、津川雅彦さんと朝丘雪路さんが結婚をされるきっかけとなった、名古屋 御園座 1ヶ月公演『湯島の白梅』『お富与三郎』舞台の公演中、傍で見ているとすごく仲がよく、あれっと思っていたら公演が終わって何日後かは忘れましたが、結婚のニュ-スが流れ、成る程と微笑ましく思ったことが思い出されました。中丸忠雄さんが出演する予定だった舞台で私は付き人を兼ねて抱き合わせの出演ということだったらしいのですが、事情があって中丸さんの出演は取り止めになり勉強のためと私だけが出演することになりました。中丸さんの代役は津川雅彦さんでした。『湯島の白梅』で私は刑事の役で舞台の下手から主役の林与一さん(早瀬主税 役)を尾行するという芝居です。結髪さんの処へ行くと、地毛のままでカツラは被らなくてもいい言われたのでそのまま何もせずに舞台に出ました。初日の舞台がはねて、演出を担当されていた名優 柳永二郎先生からダメ出しがあったんですが「この中に、現代の頭のまま舞台に出ている者がいる」と怒っています。出演者全員に緊張が走りました。シーンとしたまま、誰なのかなぁと思っていたんですが誰も手を挙げない。「あれ、ヒヨッとして俺のことなのか?」と思い、恐る恐る「私のことですか」と訊きました。「そうだ!君だよ!」「津川雅彦君は、この舞台のために髪の毛を切って臨んでいるんだよ!」と言うのです。「分りました。明日切ってきます」と答えますと「切って来いとまでは言ってないけどね。ただ、演出をする者としてはね、現代の頭で出られては困るんだっ」と叱られました。要するに頭髪を舞台背景である明治期の男のようにしろ、と云うことで、七三分けがダメだったらしいのですが、それが分らないから結髪さんに相談に行ったんで、結局釈然としないまま。翌日、開演する前に近所の散髪屋へ行って短く切ってもらいました。夜、舞台がはねて風呂へ行くと柳永二郎先生の弟子の人に会いました。演出する人は誰かを槍玉に挙げてその場の緊張を高めたり雰囲気を盛り上げたりする手を使うみたいですが柳先生もそれをやられるようで。「うちの先生が、まさか本当に髪を切ってくるとは思わなかったと、びっくりしていました」と言うのです。原田君事は槍玉に挙げるための小道具として使いやすいようです。この話しのつづきを電子書籍パブ-より出版した、映画『八甲田山』のふんどし男75 に載せていますので期間限定無料でダウンロ-ドできますので、読んでみて下さい。

 

映画『赤穂城断絶』

映画『柳生一族の陰謀』を大ヒットさせた深作欣二監督が撮る忠臣蔵は今までの常識を打ち破るような奇抜な忠臣蔵になると予想していましたが、完成した映画『赤穂城断絶』を観たところ意外なほど定石通りに撮られた印象でした。噂では深作監督と大石内蔵助を演じた萬屋錦之介さんの間で意見が合わず、監督が撮りたかった忠臣蔵にはならなかったと聞きました。15年後に再び忠臣蔵を題材した映画『忠臣蔵外伝/四谷怪談』を深作監督は松竹で撮っているんで『赤穂城断絶』のときに納得のいかない思いが残っていたんではないかと勝手に想像してしまいます。丹波さんの役は江戸幕府五代将軍徳川綱吉側用人柳沢吉保で、私が言うのはおこがましいが、いつもの丹波さんらしい安定感のある演技をされています。私の役は上杉家の家老千坂兵部の部下で本所松坂町にある吉良上野介の屋敷に護衛のため詰めている大須賀治郎右衛門です。ラストの大石内蔵助率いる赤穂浪士の討ち入りシ-ンでは私は納戸の中で身を縮めて、さらに自分の周りを女中たち6~7名に囲ませて存在が判らないように隠れているんですが、見つかって斬られてしまいます。電子書籍パブ-より出版しました映画『八甲田山』のふんどし男75を期間限定、無料でダウンロ-ドが出来るようにしてますので、まだの人は読んでみて下さい。(原田君事よりお願い!)

映画『ポルノ時代劇 亡八武士道』

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監督/石井輝男。出演/丹波哲郎伊吹吾郎ひし美ゆり子内田良平。1973年公開。東映小池一雄小島剛夕による劇画が原作の映画化で、この頃『影狩り』や『ゴルゴ13』『子連れ狼』『御用牙』などの劇画の映画化が流行っていました。原作を読んで気に入ったマネ-ジャ-が丹波さんに進言して映画化権を買っていたようです。監督は当初、丹波さんの希望で深作欣二監督に打診しました。深作欣二監督の名前が世間的に広まるのは東映映画『仁義なき戦い』からですが、丹波さんは深作監督の助監督時代から親しく、その才能に目をつけていたんだと思います。京都の金閣寺の近くにあるサウナへ丹波さんと深作監督と私の3人で行って『亡八武士道』の監督を引き受けて欲しいと話したんですが、このとき深作監督は東映京都撮影所での『仁義なき戦い』の撮影が決まっていて忙しく実現はしませんでした。結局『亡八武士道』の監督は高倉健さんの東映映画『網走番外地』で有名な石井輝男監督になったんですが、もし丹波さんが深作監督にこだわったとしても『仁義なき戦い』の大ヒットで深作監督には続編の依頼が次々と舞い込んでくることになるんでスケジュ-ルは空かなかったと思います。最初の『仁義なき戦い』が公開された1973年だけで『仁義なき戦い』『仁義なき戦い/広島死闘篇』『仁義なき戦い/代理戦争』と3本も公開されています。ちなみに第3作の東映映画『仁義なき戦い/代理戦争』には私も早川組組員として出演させてもらっています。金閣寺近くのサウナまでの車中で深作監督は「原田君、今は丹波さんの処に居るのか?」と声を掛けてくれました。松竹映画『恐喝こそわが人生』や『黒蜥蜴』には出演していますが、あれから3年ぶりで、ましてやクレジットに名前もでない端役の私なのにビックリして「え、私の名前を知っているんですか?」と訊き返しました。深作監督は私のような大部屋俳優の名前を覚えていてくださる凄い監督さんです。映画『ポルノ時代劇/亡八武士道』は吉原遊郭が舞台だけにお色気シ-ンが全篇にちりばめられています。題名の頭に『ポルノ時代劇』とついているんでタイトルだけで判断して観るのを敬遠する人もいるかと思いますが豪快なチャンバラの面白さがたっぷりで、本格的時代劇プラスお色気というお得感のある映画になっていて十分堪能できます。地獄に生きる剣客・明日死能を熱演する丹波さんの魅力全開で、丹波さんの出演作の中でも私のお気に入りの1本になっています。石井輝男監督の演出が冴え渡り、オ-プニングとラストの立ち回りは大勢の捕り方相手に一歩も引かず斬って斬って斬りまくる丹波さんが凄まじい迫力です。斬られた捕り方の手足や耳、そして生首が勢いよく宙を飛び、血しぶき噴出の残酷描写も見逃せません。主演の丹波哲郎さんの脇を固めるのがテレビ時代劇『無用ノ介』で売り出した伊吹吾郎さんと特撮テレビドラマ『ウルトラセブン』のアンヌ隊員で有名なひし美ゆり子さん、それに『影狩り』で日光を演じた内田良平さんです。ひし美ゆり子さんが思いきりよく脱いでいるのも話題になりました。私の役は吉原遊郭の三浦屋という女郎屋にいる亡八者のひとりで、おでこの左右を深く剃りこんだM字の髷を被っているんでよく目立ちます。撮影は太秦東映京都撮影所。さむらいプロダクションからも大勢の俳優が出演していましたので一日の撮影が終わるとネオン街へ繰り出して遊びまくっていました。この映画の撮影で一月くらい京都にいましたが楽しい仕事でした。写真を載せればより楽しいのですが、著作権の都合で載せることができません。それから、電子書籍パブ-より出版しました ”映画『八甲田山』のふんどし男75”も期間限定ですが無料でダウンロ-ドできますので、暇つぶしに読んで下さい。

映画『樺太1945年夏 氷雪の門

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監督/村山三男。出演/二木てるみ岡田可愛藤田弓子丹波哲郎。1974年一部地域のみ公開JMP・東映洋画部配給。終戦の年の8月、樺太の真岡郵便局の電話交換手たちに起こった悲劇を中心に、樺太に住んでいた日本人に降りかかった終わったはずの戦争に巻き込まれた民間人の悲惨さを正面から描いた問題作です。映画『樺太1945年夏 氷雪の門』は長年幻の映画とされてきたんですが、出演してから37年以上経って漸くDVDで発売されて観ることができました。最初に決まっていた東宝配給による劇場公開がソ連のモス・フィルムからのクレ-ムを受けて白紙に戻されたとか、その後に決まった東映洋画部配給によるパラス系での映画館上映の予定も北海道と九州の一部地域を除いて何らかの圧力で中止になったため、私は、出演したにもかかわらず制作当時にこの作品を観ることができませんでした。それに当時は何も知らされてなかったんで、上映できなかった理由を知ったのも最近で、しかもインタ-ネット情報です。丹波さんは豊原の大本営にいて対ソ連戦の作戦を立てる鈴木参謀長として出演されました。ソ連の参戦の連絡を受けて各部隊に通達命令を出す一方で「積極的に攻撃するも、越境すべからず」と実質的にソ連軍の侵攻を容認するような命令を方面軍より受けて愕然とし、島田正吾さん演じる二木師団長に「上層部はそれでよいかもしれませんが、将兵たちは最前線です。戦うに戦えず、進むに進めないような命令では死んでも死にきれんと思います」と訴える場面はいつもの安定した存在感たっぷりの演技をされています。また、天皇陛下玉音放送があり、各部隊に停戦・武装解除命令を出したあとの8月16日になってから方面軍打電の電報【先ニ停戦ノ武装解除、軍旗奉焼ニツキ指示シタルモ、自衛ノタメノ戦闘ハ、アクマデモ継続スベシ】に激怒して「何っ!自衛のための戦闘?自衛のための戦闘とはいったいどういうことだっ!」その迫真の演技に、やっぱり、うちの師匠が出演すると作品に重みが出て「違うもんだなぁ」とつくづく感心します。私の役は泰平炭坑病院の医局員です。真岡の電話交換手役の岡田可愛さんの問い合わせを受けて戦局が悪化する中、泰平炭坑病院の状況を知らせる芝居でした。撮影のスケジュ-ルが違うんで、現場で岡田可愛さんに会う事はありませんでしたが別撮りして編集で併せてあるので、戦死していく人々の描写の中では手前味噌ではありますが印象に残るシ-ンになったのではないでしょうか。交換手「泰平炭坑病院ですか?あのっ、あのっ、看護婦さんたちはどうしてますでしょうか?」医局員「町の人はみんな非難しました。看護婦さんは、重病患者がいるので非難できないんです。いえっ、今は手術中・・・」大爆音がして受話器の声が途切れます。受話器の下で息絶えている医局員のカット。『樺太1945年夏 氷雪の門』の撮影現場は福島県だったんですが、この時の私は珍しく売れていて、別の作品で京都撮影と掛け持ちしていて通うのが大変でした。  

テレビ時代劇『新・座頭市』第1シリ-ズ

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神戸で出来の悪い会社員をヤッテタ頃、勝新太郎さん主演の大映映画『悪名』にハマッテ、勝さんのせりふ河内弁を真似て三宮、元町で与太っていました。その勝新太郎さんの代表作である座頭市第6話「師の影に泣いた」に出演できるとあって張り切って京都へ行きました。大映映画の座頭市シリ-ズの第3作で田中徳三監督による初のカラ-作品映画『新・座頭市物語』の内容を焼き直したのがテレビ時代劇『新・座頭市』第6話「師の影に泣いた」です。映画では河津清三郎さんが演じた座頭市の剣の師匠である伴野弥十郎役をテレビ版では、我が師匠丹波哲郎さんが演じていて、映画に負けない印象を残しています。私は冒頭に登場する座頭市を親分の仇とつけ狙い、めしやで返り討ちに遭うやくざの役で、座頭市に髷を斬られてしまいます。やくざが髷を斬られるシ-ンは座頭市ではお馴染みの名場面ということで結髪さんに初めから髷が糸一本でしか繋がっていない仕掛けをして貰って(これは勝さんの提案で本職の結髪さんより詳しく注文を付けいました。勝さんは眼の不自由な方の歩き方、身体のこなし等、研究心が旺盛で凄い人なんだなあと感心をした記憶があります)一瞬の立ち回りのあと私の髷が落ちてザンバラ髪になるまでをワンカットで撮ることになっていました。勝さんから付きっきりで芝居を教えていただき20回以上もテストをしましたが、結局、うまくいかずにタオルをかぶり編集で誤魔化しています。勝さんは怖そうな顔に似合わず、ダメな私相手でも根気良く丁重に教えてくださる優しい方でした。 著作権の関係で写真を載せられませんので、無いよりマシだと思って神戸時代私が仕事をしている写真を載せました。それからいつもお願いしていますが、電子書籍パブ-より出版しました ”映画『八甲田山』のふんどし男75”も期間限定ですが無料ですので、暇つぶしに読んで下さい。感想を聞かせてくだされば次回作の参考にしますので、「よろしゅう おたの 申します。」