kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

会社員失格

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昭和36年、親父さんは大学へ行って勉強をしろと言っていたが勉強は大嫌い、授業中はよく居眠りをしていた私としては高校を卒業するのが精一杯(←これは決して頭が悪いのではない、精神的なもの)お袋さんが駄菓子屋をやってはいたが遊んでいるのも世間に対して体裁が悪いので、神戸港の中突堤(なかとってい)に本社があった海運貨物取扱業のO社に就職しましたが、仕事は面白いものではありません。たまたま神戸の新開地という繁華街で、中学校の時の同級生に会い、「今どんな仕事をしとんや」と聞くと「パチンコ屋の店員や、店へ遊びに来いや」と言って連れて行かれ、玉を貰って弾いてみると是が結構面白い、1時間位遊んで残った玉を返しに行くと景品を呉れる、金を払って玉を買った訳ではないのに景品を貰うのは悪いから返したが受け取らない。このパチンコにはまってしまった私は、仕事をさぼってよく通い借金をしては親父さんに払ってもらっていた。又、会社の先輩でボディビルのジムに通っている人がいたので紹介してもらい半年位通ったら体が筋肉質なので腕の太さが先輩を追い越し、ジムの親父が真面目に練習をすればコンテストに出場出来ると言われたが大きな鏡の前で上半身裸になってポ-ズをとるのにも飽きて止めてしまった。会社へ出勤するのに、裕次郎さんのまねをして白い上下のス-ツを誂えたり、ダボシャツに雪駄をチャラチャラならしながら通っていました。そんな頃パチンコ屋で親しくなつたM組のAと言う人に「内の組に来ないか」と声を掛けられましたが、私の考えとしては、ヤクザ屋さんは映画で観るとカッコいいが、鶴田浩二高倉健さんが演じているヤクザになろうと思うと大変な才能、努力が必要だろう、私の性格では絶対無理なのは判っているのでお断りしました。遊び仲間が二人、組に入ったがまだ生きているのかなぁ、どうでもいい事だけど今ちょっと思い出しました。私を筆頭に若気の至りで馬鹿が粋がっていたんでしょうね。

こんな男ですがどうして会社がクビにしなかったのか、この歳になって思うに会社に情があって若さが馬鹿なことをやらせているんだからその内、気が付くだろうと思っていたか、当時組合活動が盛んで、みんなに煽てられて根がおっちょこちょいの原田君事としては組合の役員選挙に立候補したら面白がって大勢が投票し当選したから会社も簡単にクビに出来なかったんでしょう。

世の中も無責任が流行っていて、そういうことがある程度許された時代だったんで(←これは私流の解釈ですが)今考えると「ご迷惑を掛け」申し訳ありませんでした。