kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

映画『人間革命』(1)

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さむらいプロダクションに所属していた頃は、大半が丹波哲郎さんの出演する作品に抱き合わせで出演させてもらっていたのが、俳優・丹波哲郎の個人事務所「丹波プロダクション」を創設。丹波さんはさむらいプロダクションを退きましたので、丹波さんとの抱き合わせ出演の仕事量が減ってしまうのではないかという危惧がありアルバイトを増やし生活費の不足分を増やさなければならず思案をしていた処へ新橋にあった「なでしこ」というスナックの仕事がありました。私はこのスナックへよく飲みに行っていました。というのも松竹大船撮影所に所属していた時の友達で俳優の佐藤蛾次郎さんがそこでアルバイトをしていたからです。アフロヘアと髭がトレ-ドマ-クの蛾次郎さんと云えば松竹映画『男はつらいよ』シリ-ズでの柴又帝釈天寺男源公の役が有名です。金もないのによく飲みに行っていたんで店のツケが溜まっていました。タイミングよく蛾次郎さんの役者業が忙しくなり、彼がスナックのアルバイトを辞めたので、ママが「ツケはチャラにするから店で働いて」と頼まれOKしました。店で生ギタ-の伴奏で歌を歌ったり、酒を飲みながらお客さんの相手をしたりしてお金になるんだから楽しい仕事です。芝居の勉強などそっちのけでスナックの仕事に熱中していました。役者なら芝居以外の事に熱中するのも芸の肥やしになるとか、あってもよさそうなもんですが当時の私の頭の中にはそんなもんはこれっぽっちもなくて。ただ単純に楽しければいいくらいにしか思っていませんでした。