kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

映画『樺太1945年夏 氷雪の門

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監督/村山三男。出演/二木てるみ岡田可愛藤田弓子丹波哲郎。1974年一部地域のみ公開JMP・東映洋画部配給。終戦の年の8月、樺太の真岡郵便局の電話交換手たちに起こった悲劇を中心に、樺太に住んでいた日本人に降りかかった終わったはずの戦争に巻き込まれた民間人の悲惨さを正面から描いた問題作です。映画『樺太1945年夏 氷雪の門』は長年幻の映画とされてきたんですが、出演してから37年以上経って漸くDVDで発売されて観ることができました。最初に決まっていた東宝配給による劇場公開がソ連のモス・フィルムからのクレ-ムを受けて白紙に戻されたとか、その後に決まった東映洋画部配給によるパラス系での映画館上映の予定も北海道と九州の一部地域を除いて何らかの圧力で中止になったため、私は、出演したにもかかわらず制作当時にこの作品を観ることができませんでした。それに当時は何も知らされてなかったんで、上映できなかった理由を知ったのも最近で、しかもインタ-ネット情報です。丹波さんは豊原の大本営にいて対ソ連戦の作戦を立てる鈴木参謀長として出演されました。ソ連の参戦の連絡を受けて各部隊に通達命令を出す一方で「積極的に攻撃するも、越境すべからず」と実質的にソ連軍の侵攻を容認するような命令を方面軍より受けて愕然とし、島田正吾さん演じる二木師団長に「上層部はそれでよいかもしれませんが、将兵たちは最前線です。戦うに戦えず、進むに進めないような命令では死んでも死にきれんと思います」と訴える場面はいつもの安定した存在感たっぷりの演技をされています。また、天皇陛下玉音放送があり、各部隊に停戦・武装解除命令を出したあとの8月16日になってから方面軍打電の電報【先ニ停戦ノ武装解除、軍旗奉焼ニツキ指示シタルモ、自衛ノタメノ戦闘ハ、アクマデモ継続スベシ】に激怒して「何っ!自衛のための戦闘?自衛のための戦闘とはいったいどういうことだっ!」その迫真の演技に、やっぱり、うちの師匠が出演すると作品に重みが出て「違うもんだなぁ」とつくづく感心します。私の役は泰平炭坑病院の医局員です。真岡の電話交換手役の岡田可愛さんの問い合わせを受けて戦局が悪化する中、泰平炭坑病院の状況を知らせる芝居でした。撮影のスケジュ-ルが違うんで、現場で岡田可愛さんに会う事はありませんでしたが別撮りして編集で併せてあるので、戦死していく人々の描写の中では手前味噌ではありますが印象に残るシ-ンになったのではないでしょうか。交換手「泰平炭坑病院ですか?あのっ、あのっ、看護婦さんたちはどうしてますでしょうか?」医局員「町の人はみんな非難しました。看護婦さんは、重病患者がいるので非難できないんです。いえっ、今は手術中・・・」大爆音がして受話器の声が途切れます。受話器の下で息絶えている医局員のカット。『樺太1945年夏 氷雪の門』の撮影現場は福島県だったんですが、この時の私は珍しく売れていて、別の作品で京都撮影と掛け持ちしていて通うのが大変でした。