kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

映画『落葉とくちづけ』 藤岡弘・尾崎奈々・ヴィレッジ・シンガ-ズ

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 監督:斉藤耕一。1969年公開 松竹映画。

 当時の若者に支持者が多かった斉藤耕一監督は、映画『約束』『旅の重さ』などが代表作で、日活のスチ-ルカメラマン出身です。

私が撮影開始前に、挨拶に伺い「日活の今戸プロデュ-サ-の処に居候をしていました」と言いますと、斉藤監督は日活時代に今戸さんをご存知だったようで、笑顔になられたのを思い出します。

映画の冒頭、主役の尾崎奈々さんが所属する城南学園演劇部の卒業公演「リア王」の中で、すでに死の床にあるリア王をやっているのが私です。

王の娘(コ-ディリア)出役の尾崎奈々さんが私の手をとって芝居をするシ-ンです。

劇中劇での死体役なので、NGはありません。

セリフがなくて威厳と存在感だけでいい役は得意なんです。

 

 藤岡弘、さんとの話しになりますが、今、振り返ってみると不思議に同じ映画に出演していても芝居で絡むということがないんです。

 私が松竹大船撮影所の俳優部を辞め、さむらいプロダクションに所属していた頃、東映大泉撮影所で偶然会い、私の頭の中では彼は松竹の専属俳優だと思っていたので「どうして東映に居るだ」と訊ねました。「今度こちらで仕事をするようになった」いう返事でした。今、思い当たるのは多分『仮面ライダ-』の打ち合わせに来ていたんだと思います。

 映画『東京湾炎上』監督:石田勝心 出演/丹波哲郎藤岡弘。私の役は自衛隊の上級仕官。

このときも芝居は絡んでいません。

 映画『大空のサムライ』監督:丸山誠治 出演/藤岡弘・志垣太郎・丹波哲郎

この時も、鹿児島の鹿屋での撮影で10日間位いたんですが、芝居は絡んででいません。

俳優を辞めた後、千葉の(株)ひかり映画社と言う会社で、イベントの斡旋をやっていた時、円谷プロに用があり、電話をしたところ、電話に出た人と話していたら、さむらいプロに所属していた時、マネ-ジャ-をやっていたA君で、「円谷プロへ来る前は藤岡弘さんのマネ-ジャ-をやっていた」と云っていました。今回、ブログを書き始め昔の事を思い出していると藤岡君とは、縁があったようでなかつたようで不思議な気がします。