『御用牙』
友達の家に行って、三隅研次監督の『御用牙』を観て来ました。
この作品は1972年ですから、私が三隅監督に出会った、そして監督が初めて手掛けたテレビ映画『天皇の世紀』第九話”急流”、の次の年に撮られたみたいですね?
第十話”攘夷”ゲストは丹波哲郎さんで、私は抱き合わせで第九話”急流”に薩摩藩士・柴山竜五郎の役で出演しました。演技の下手な私は絞られるのを覚悟していましたが、なぜか波長が合って役を膨らませて貰い、ブログに書いていますが後々目をかけてくださいました。
改めて今回気付きましたが、劇画を映画化するのが流行っていたのですネ?
1972年、『影狩り』石原プロ・舛田利雄監督。主演・石原裕次郎。
1973年、『ポルノ時代劇亡八武士道』東映・石井輝男監督。主演・丹波哲郎。この2作品にも丹波さんの抱き合わせで私も出演しています。『御用牙』については、私がへたな文章を書くより、吉外武男さんのブログを読んだ方が面白いので遠慮しておきます。
人生を変えたカタカナ
それはテレビ。
たまたま、テレビで演歌歌手の畠山みどりさんが「恋は神代の昔から」を歌っているのを観て、ちっちゃい頃から浪曲が大好きだった私としては「俺が求めていた歌とはコレだっ!」と一目惚れ。
即、後援会に入って神戸や大阪で畠山みどりさんの追っかけを始めました。
畠山みどり 日本コロンビア所属の演歌歌手 北海道出身
1962年に23歳でデビュ-
代表曲「恋は神代の昔から」「ちょうど時間となりまし
た」「出世街道」「女侠一代」「ツキツキ節」「氷雪の
門」
何ヵ月かして関西の後援会の集いが有馬温泉で行われ、余興として各地域から10人ずつ選出して、のど自慢大会がありました。
人前ではあんまり歌ったことはなかったんですが、私も神戸地区選出のひとりとして出場し「女侠一代」という畠山みどりさんのヒット曲を歌ったところ、思いがけず入選しました。
お世辞でご本人から「上手でしたわよ」と言われ、根が単細胞の私のことですから、この一言で舞い上がってしまいました。
神戸地区から一緒に出場した夕星歌謡学院(杉良太郎さんを育てた学校)で習っていた女の子が入選しなかったのに「俺は入選した!」んです。
「勉強すればひょっとするかも」と思い込み、夕星歌謡学院の先生を紹介してもらって声楽レッスンを受け始めました。最初は週1回のレッスンだったのを2回、3回と増やし。十ヶ月ほど習った時に毎日放送のテレビ番組で視聴者参加型の公開演芸合戦「素人名人会」の予選を受けて合格し、生まれて初めてテレビに出演しました。
このときは「いい顔で賞」なんていう特別賞を貰いましたが、番組が笑いをとるために作ったんじゃないですかネ。
これに気をよくした私は、同じく毎日放送の「明色ものまね歌合戦」 やロイ・ジェ-ムズさん司会の「象印歌のタイトル」にも10人抜きの挑戦者として出場しました。
憧れていた石原裕次郎さんの歌を熱唱したんですが残念ながら敗退しました。
当時としては身近でテレビに出演する人が珍しかったんでしょう、会社や周りでも評判になっていたようです。神戸で私の人生を左右する映画
『望郷と掟』の撮影が行われ、ロケ撮影の世話係をしていた方に「映画に出てみないか」と声をかけていただき出演したのが人生の分かれ道でした。 (電子書籍・映画『八甲田山』のふんどし男75より)
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2019年石磨きに挑戦
開高健さんの本を読んでいると、石の話しが出てきました。読み進んでいるうちに石に興味が湧いてきました。どこまで出来るかわかりませんが本年は石磨きに挑戦!
脚本/佐藤肇・丹波哲郎 出演/丹波哲郎 津奈美里ん 林田昭彦
1977年制作 1980年新宿東映ホ-ルにて2週間限定公開
二人には誰にも言えない悩みがあった。
砂から掘り出した幻の小舟に導かれて千年の過去へ。
若い恋人たちがたどる輪廻転生にまつわる不思議な愛の世界。
丹波企画で制作した映画『砂の小船』は、丹波さんが最初に霊界や輪廻転生を扱った映画なんですが、制作当時は許されたであろう冒頭の幼な子たちの描写が現代は厳しい規制対象となっていて、大人の事情で上映やDVD販売が困難になっているようです。
完成当時も大手映画会社は配給に及び腰だったようで、丹波さんの手許で三年近く眠ったまま1980年になって新宿の小規模なホ-ルで2週間限定の公開となりました。
カンヌ映画祭に出品したようですが、結局、製作費のほとんどを回収できていない大赤字の映画です。
映画『八甲田山』の青森ロケから帰った2月に、私は映画『砂の舟』の撮影で島根県の隠岐の島と新潟県の佐渡島へ行きました。
映画に登場する私は山賊の役で場面も少なく大したことはなかったんですが、私は他に映画に登場しない重要な役どころを任されていて、これが、映画『八甲田山』の次くらいに大変な思いをすることになったのです。
この映画の主役は丹波さんがポ-と呼んでいた津奈美里んさんと林田昭彦君なんですが、映画の中で砂から掘り出された小舟が、まるで意思を持っているかのような不思議な動きをして二人を約800年前の鎌倉時代へ導くのです。コンピュ-タ-・グラフィックスなどない頃の映画撮影です。
小舟が感情を持つようにいろいろ動くとなれば、誰かが陰に隠れながら小舟を操るしかありません。
もうお分かりだと思いますが、この私が、凍てつく2月の海に入ってカメラに映らないように反対側から小舟を操作していた訳です。
ウエットス-ツを着ていたんで『八甲田山』のふんどし一丁の裸に比べれば大したことのない寒さなのかもしれませんが、何時間も冷たい水に浸かっていることでジワジワ感じる寒さは、瞬間的な寒さとは違った辛さががあります。何日もかかったんで私には地獄の撮影となりました。
佐渡の撮影の時、熱帯魚の水槽に入れたら綺麗だろうと思って佐渡の赤玉石の原石を買ってきたんですが、石が重いので水槽に入れて割れたら拙いと思い、物置に仕舞っておいていたんですが、インタ-ネット等で勉強しながら石磨きに挑戦します!
映画『落葉とくちづけ』 藤岡弘・尾崎奈々・ヴィレッジ・シンガ-ズ
監督:斉藤耕一。1969年公開 松竹映画。
当時の若者に支持者が多かった斉藤耕一監督は、映画『約束』『旅の重さ』などが代表作で、日活のスチ-ルカメラマン出身です。
私が撮影開始前に、挨拶に伺い「日活の今戸プロデュ-サ-の処に居候をしていました」と言いますと、斉藤監督は日活時代に今戸さんをご存知だったようで、笑顔になられたのを思い出します。
映画の冒頭、主役の尾崎奈々さんが所属する城南学園演劇部の卒業公演「リア王」の中で、すでに死の床にあるリア王をやっているのが私です。
王の娘(コ-ディリア)出役の尾崎奈々さんが私の手をとって芝居をするシ-ンです。
劇中劇での死体役なので、NGはありません。
セリフがなくて威厳と存在感だけでいい役は得意なんです。
藤岡弘、さんとの話しになりますが、今、振り返ってみると不思議に同じ映画に出演していても芝居で絡むということがないんです。
私が松竹大船撮影所の俳優部を辞め、さむらいプロダクションに所属していた頃、東映大泉撮影所で偶然会い、私の頭の中では彼は松竹の専属俳優だと思っていたので「どうして東映に居るだ」と訊ねました。「今度こちらで仕事をするようになった」いう返事でした。今、思い当たるのは多分『仮面ライダ-』の打ち合わせに来ていたんだと思います。
映画『東京湾炎上』監督:石田勝心 出演/丹波哲郎・藤岡弘。私の役は自衛隊の上級仕官。
このときも芝居は絡んでいません。
映画『大空のサムライ』監督:丸山誠治 出演/藤岡弘・志垣太郎・丹波哲郎。
この時も、鹿児島の鹿屋での撮影で10日間位いたんですが、芝居は絡んででいません。
俳優を辞めた後、千葉の(株)ひかり映画社と言う会社で、イベントの斡旋をやっていた時、円谷プロに用があり、電話をしたところ、電話に出た人と話していたら、さむらいプロに所属していた時、マネ-ジャ-をやっていたA君で、「円谷プロへ来る前は藤岡弘さんのマネ-ジャ-をやっていた」と云っていました。今回、ブログを書き始め昔の事を思い出していると藤岡君とは、縁があったようでなかつたようで不思議な気がします。