kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

原田君事と映画『八甲田山』 3

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 映画『八甲田山』は明治期の日本陸軍の物語です。

明治期の男の髪形の件では演出家の柳永二郎先生に怒られた舞台『湯島の白梅』のことが咄嗟に私の頭をよぎりました。

さむらいプロに入った当初、中丸忠雄さんの付き人をやっていたときに出演した名古屋の御園座での舞台のことです。

 鏡の前に座った私にメイキャップ係の方が気を使ってくれて「次の仕事に支障はないですか?」と訊いてくださいましたが「大丈夫、遠慮なくやってください」と答えました。

頭を短く刈ってもらったあと、部屋へ戻って酒を飲んでいると炊事係Aの役をやっている同じ丹波プロの俳優の三島君が「台本に書いてある<奇声を発し、外套や軍服を脱ぎ裸になる者>をやりたいと思ってふんどしを用意してきたんだが、この寒さじゃあ、とてもじゃないが無理だよ。死んでしまうよ」と言ったんです。 

私は内心「こいつは偉いなぁ!俺なんか、自分のセリフの処を見ただけで、台本なんか読んでないよ」と思いながら彼の話を聞いていました。

実際、自慢じゃないですが今までのほとんどの仕事で台本は自分の配役とセリフを確認するだけで他のペ-ジは読んだことがありません。

映画の流れを理解して現場に入ったことなど一度もなかったと今は反省していますが・・・・・・

もう遅いですね。 

三島君の話を聞いて撮影台本のシ-ン100を見てみると、ト書きの記述はわずかで、隊員役の誰がト書のどの芝居をするのかという具体的なことは何も決まっていないようでした。

シ-ン100 八甲田―鳴沢

 雪は赤ではなくそれを越え黒くなっている。 

 吹雪、地吹雪、積雪ともに真ッ黒だ。

 落伍は輸送隊から始まっていたが、残り少ない隊員が、食料や木炭、     

 円匙を背負ったまま倒れてしまう。                                                  

 一般隊員も同様だ。

 雪の中へ座り込みゲラゲラ笑いだす者、

 奇声を発し、外套や軍服を脱ぎ裸になる者、

 いきなり乱暴に暴れだし、

 雪の中を転げ廻り、その中へ頭を突っ込んで動かなくなってしまう。

 

 

原田君事と映画『八甲田山』 2

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 神戸生まれの神戸育ち、こんな大雪を目の前で見たのは初めてでした。

荷物を集合場所の公民館に降ろし、早めの昼食後、他の役者たちと共に雪道歩行に慣れるため雪中行軍遭難記念像まで行きましたが、こんな凄い雪道を歩いたのは生まれて初めてです。

天気は良かったんですが、それでも深く積もった雪に膝上まで沈みながら歩くのは本当に大変でした。

雪中行軍遭難記念像は雪の中に仮死状態で立っていた後藤房之助伍長の像で、映画では江藤伍長として描かれ新克利さんが演じています。

「これは大変な仕事を引き受けた」と青森入り初日にして早くもこの仕事を取ってくれた小林八郎マネ-ジヤ-を恨みました。

 バスで撮影の本拠地となる青森市八甲田山中にある酸ヶ湯温泉の旅館へ入って、夜は旅館で出演者の初顔合わせがありました。

俳優とスタッフ併せて170名以上の撮影隊です。

初めて見る顔の中には東野英心さんなどの知っている顔もあって、若い連中同士で一杯飲みながら合宿に来たような気分で楽しかったです。

東野英心さんはTBSの人気時代劇だった『水戸黄門』の初代水戸光圀(御老公様=越後のちりめん問屋の隠居光右衛門)役として有名な東野英治郎さんの息子です。

 入浴後「歩兵の隊員役で髪の毛の長い者は、頭を短く刈るように」と伝達があり、旅館の1階にメイキャップ係による臨時の床屋が開設されました。 

軍帽と耳当て、その上に被るフ-ド付きの防寒外套で頭は何とか隠せるんで、強制ではありませんでしたが「そうだ、俺も坊主頭にしようと」決めて階下へ降りました。

この咄嗟の選択が私の人生に大きな変化をもたらしてくれることに繋がります。

人生とは面白いものですね!

原田君事と映画『八甲田山』 1

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 日露戦争を前にした1902年(明治35年)に起こった日本陸軍青森歩兵第五連隊の八甲田山雪中行軍遭難事件を題材にした映画で、足掛け3年の制作期間をかけて完成した大作です。

映画『八甲田山』の企画は1974年に公開された松竹と橋本プロの提携作品である映画『砂の器』と同時期に始動していました。

 『人間革命』『砂の器』『続・人間革命』と連続で橋本脚本の作品に主演していた縁で丹波さんと橋本忍さんはつき合いがあり、三国連太郎さんが演じた青森第五連隊の山田少佐の役を当初は打診されていました。

冬の青森県八甲田山周辺をロケ-ション・ハンティングされていた橋本さんから情報を得ていた丹波さんは、その苛酷なまでに厳しい冬の寒さのことを耳にして「雪中行軍に参加する役はやりたくないな」と思ったんでしょう。  

山田少佐の役を適当な理由をつけて断って、代わりに弘前三十一連隊長の児島大佐を演じることになりました。

丹波さんが青森のロケに参加したのは1日だけです。

青森市森林博物館(旧青森営林局庁舎)を使って映画の冒頭で描かれている弘前第四旅団本部での会議のシ-ンと旅団長以下の会議出席メンバ-が旅団本部から出てくるシ-ンを撮影しました。

会議が開かれた季節は秋の設定ため雪は全くありません。

それ以外は砧の東宝スタジオでのセット撮影です。

君子危うきに近寄らず。

さすがに親分です。

 私はもちろん丹波さんの抱き合わせ出演ですが、参加した青森ロケ-ションは厳冬期の1月で、撮影は1ヵ月に及びました。

私が34歳のときです。

結婚をして1年半、長男の「治」が生まれて3ヵ月になる1977年1月2日。女房殿と子供を東京に残して雪中行軍隊兵士に扮する若い役者たちと一緒に夜行列車で上野駅を出発し、翌朝8時に青森駅に到着しました。

駅の外へ出るとすごい雪です。

「なんじゃこれは」

 

追悼 橋本忍

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  日本映画専門チャンネルで、追悼 橋本忍 

八甲田山』特別上映イベント

日本邦画劇場888回特別企画

応募締め切り 2018年8月20日(月)深夜12時 

の記事を見つけ、【『八甲田山』のふんどし男75】の原田君事と致しましては早速応募をしましたが、当たるかどうかは時の運!みなさんも応募をしてみてはいかがですか!

映画『落葉とくちづけ』 藤岡弘・尾崎奈々・ヴィレッジ・シンガ-ズ

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 監督:斉藤耕一。1969年公開 松竹映画。

 当時の若者に支持者が多かった斉藤耕一監督は、映画『約束』『旅の重さ』などが代表作で、日活のスチ-ルカメラマン出身です。

私が撮影開始前に、挨拶に伺い「日活の今戸プロデュ-サ-の処に居候をしていました」と言いますと、斉藤監督は日活時代に今戸さんをご存知だったようで、笑顔になられたのを思い出します。

映画の冒頭、主役の尾崎奈々さんが所属する城南学園演劇部の卒業公演「リア王」の中で、すでに死の床にあるリア王をやっているのが私です。

王の娘(コ-ディリア)出役の尾崎奈々さんが私の手をとって芝居をするシ-ンです。

劇中劇での死体役なので、NGはありません。

セリフがなくて威厳と存在感だけでいい役は得意なんです。

 

 藤岡弘、さんとの話しになりますが、今、振り返ってみると不思議に同じ映画に出演していても芝居で絡むということがないんです。

 私が松竹大船撮影所の俳優部を辞め、さむらいプロダクションに所属していた頃、東映大泉撮影所で偶然会い、私の頭の中では彼は松竹の専属俳優だと思っていたので「どうして東映に居るだ」と訊ねました。「今度こちらで仕事をするようになった」いう返事でした。今、思い当たるのは多分『仮面ライダ-』の打ち合わせに来ていたんだと思います。

 映画『東京湾炎上』監督:石田勝心 出演/丹波哲郎藤岡弘。私の役は自衛隊の上級仕官。

このときも芝居は絡んでいません。

 映画『大空のサムライ』監督:丸山誠治 出演/藤岡弘・志垣太郎・丹波哲郎

この時も、鹿児島の鹿屋での撮影で10日間位いたんですが、芝居は絡んででいません。

俳優を辞めた後、千葉の(株)ひかり映画社と言う会社で、イベントの斡旋をやっていた時、円谷プロに用があり、電話をしたところ、電話に出た人と話していたら、さむらいプロに所属していた時、マネ-ジャ-をやっていたA君で、「円谷プロへ来る前は藤岡弘さんのマネ-ジャ-をやっていた」と云っていました。今回、ブログを書き始め昔の事を思い出していると藤岡君とは、縁があったようでなかつたようで不思議な気がします。

 

 

テレビ時代劇『大盗賊』丹波哲郎

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 『大盗賊』全13話 監督/降旗康男小野田嘉幹 ほか

  出演/丹波哲郎 野際陽子 三ツ木清隆 内田良平 原田君事

  1974年 丹波プロダクション・国際放映・フジテレビ

 

 『大盗賊』は私が唯一レギュラ-出演をした丹波プロダクション制作          のテレビ時代劇です。

 丹波さんは白の頭巾に白の着流しという派手な衣裳で悪徳商人や腹黒い権力者の屋敷に潜入して二刀流の華麗な立ち回りで悪人たちを成敗してから大金を頂戴していく「闇将軍」と呼ばれる盗賊の頭を演じていました。

 「闇将軍」の普段の姿は江戸庶民に人気の浮世絵師の緑川(りょくせん)で絵師の設定にしたことには訳があり、丹波さんの父親で陸軍の薬剤官から画家に転身した丹波二郎氏の存在が影響していると聞いたことがあります。

私の役は昼間の顔は瓦版売り、夜は丹波さん演じる盗賊の頭の手下で、

潜入する屋敷へ向かうために丹波さんが乗る大名駕篭を画面の右側で担いでいます。

このドラマが丹波プロダクションに入ってからの私の初仕事でした。

「最初はどうなる事かとヒヤヒヤしたが、場数をこなすと芝居が上手くなっていくもんだなぁ」と、全13話の撮影が終了したときに、ようやく丹波さんに褒められました。