kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

映画『ポルノ時代劇 亡八武士道』

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監督/石井輝男。出演/丹波哲郎伊吹吾郎ひし美ゆり子内田良平。1973年公開。東映小池一雄小島剛夕による劇画が原作の映画化で、この頃『影狩り』や『ゴルゴ13』『子連れ狼』『御用牙』などの劇画の映画化が流行っていました。原作を読んで気に入ったマネ-ジャ-が丹波さんに進言して映画化権を買っていたようです。監督は当初、丹波さんの希望で深作欣二監督に打診しました。深作欣二監督の名前が世間的に広まるのは東映映画『仁義なき戦い』からですが、丹波さんは深作監督の助監督時代から親しく、その才能に目をつけていたんだと思います。京都の金閣寺の近くにあるサウナへ丹波さんと深作監督と私の3人で行って『亡八武士道』の監督を引き受けて欲しいと話したんですが、このとき深作監督は東映京都撮影所での『仁義なき戦い』の撮影が決まっていて忙しく実現はしませんでした。結局『亡八武士道』の監督は高倉健さんの東映映画『網走番外地』で有名な石井輝男監督になったんですが、もし丹波さんが深作監督にこだわったとしても『仁義なき戦い』の大ヒットで深作監督には続編の依頼が次々と舞い込んでくることになるんでスケジュ-ルは空かなかったと思います。最初の『仁義なき戦い』が公開された1973年だけで『仁義なき戦い』『仁義なき戦い/広島死闘篇』『仁義なき戦い/代理戦争』と3本も公開されています。ちなみに第3作の東映映画『仁義なき戦い/代理戦争』には私も早川組組員として出演させてもらっています。金閣寺近くのサウナまでの車中で深作監督は「原田君、今は丹波さんの処に居るのか?」と声を掛けてくれました。松竹映画『恐喝こそわが人生』や『黒蜥蜴』には出演していますが、あれから3年ぶりで、ましてやクレジットに名前もでない端役の私なのにビックリして「え、私の名前を知っているんですか?」と訊き返しました。深作監督は私のような大部屋俳優の名前を覚えていてくださる凄い監督さんです。映画『ポルノ時代劇/亡八武士道』は吉原遊郭が舞台だけにお色気シ-ンが全篇にちりばめられています。題名の頭に『ポルノ時代劇』とついているんでタイトルだけで判断して観るのを敬遠する人もいるかと思いますが豪快なチャンバラの面白さがたっぷりで、本格的時代劇プラスお色気というお得感のある映画になっていて十分堪能できます。地獄に生きる剣客・明日死能を熱演する丹波さんの魅力全開で、丹波さんの出演作の中でも私のお気に入りの1本になっています。石井輝男監督の演出が冴え渡り、オ-プニングとラストの立ち回りは大勢の捕り方相手に一歩も引かず斬って斬って斬りまくる丹波さんが凄まじい迫力です。斬られた捕り方の手足や耳、そして生首が勢いよく宙を飛び、血しぶき噴出の残酷描写も見逃せません。主演の丹波哲郎さんの脇を固めるのがテレビ時代劇『無用ノ介』で売り出した伊吹吾郎さんと特撮テレビドラマ『ウルトラセブン』のアンヌ隊員で有名なひし美ゆり子さん、それに『影狩り』で日光を演じた内田良平さんです。ひし美ゆり子さんが思いきりよく脱いでいるのも話題になりました。私の役は吉原遊郭の三浦屋という女郎屋にいる亡八者のひとりで、おでこの左右を深く剃りこんだM字の髷を被っているんでよく目立ちます。撮影は太秦東映京都撮影所。さむらいプロダクションからも大勢の俳優が出演していましたので一日の撮影が終わるとネオン街へ繰り出して遊びまくっていました。この映画の撮影で一月くらい京都にいましたが楽しい仕事でした。写真を載せればより楽しいのですが、著作権の都合で載せることができません。それから、電子書籍パブ-より出版しました ”映画『八甲田山』のふんどし男75”も期間限定ですが無料でダウンロ-ドできますので、暇つぶしに読んで下さい。