kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

名匠 三隅研次監督との出会い(2)

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私の役は倒幕を画策している尊王攘夷過激派のひとりで、柴山竜五郎という薩摩藩士です。東京の砧にある国際放映の撮影所に組まれた薩摩藩大坂屋敷二十八番長屋のセットで倒幕の密談をしている薩摩藩士たちの撮影のカットで、三隅監督が役者の配置を指示されて、私は縁側へ座るように言われました。座った私からはどうやら倒幕過激派の志士が持つ緊張感が感じられなかったようで、三隅監督に「おっさん、何をのんびりした顔をしてまんねや。温泉につかっとんのと違いまっせ!」と関西弁で叱られました。セットの中は大爆笑。それからは何かあると「おっさん」です。カメラマンまでがわたしを「おっさん」と呼ぶようになったんで、一丁調子を合わせて場の雰囲気を盛り上げてやるか。「おっさん」こちらは「へい、へい」と返していました。シ-ン変わりの準備の間に火に当たっていると、三隅監督が「おっさんはどこの役者や?」と聞かれたんで「さむらいプロです」と答えました。そしたら「ふうん、丹哲のとこか」と言われたんで、こっちも「だから、抱き合わせでキャスティングされたんじゃないですか?」と答えたら「おもろい男やなぁ、自分で抱き合わせと言うんか?」と笑われました。それがきっかけですっかり打ち解け、雑談になり、20歳のときに大映京都のフレッシュフェ-スの試験を受けたことを話しました。「結果はどうやったんや?」「最終の5人まで残ったんですけどダメでした」「そのときの試験官は見る目がなかったんやなぁ」「だから大映は潰れたんのと違いますか」一瞬、場は静かになり、回りにいた連中が呆れた顔で聞いていたのを思い出します。「ろくすっぽ芝居もできない奴が、大監督に向かってよく言うよ」と内心思っていたんでしょう。

名匠 三隅研次監督との出会い(1)

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朝日放送開局20周年記念番組テレビ時代劇『天皇の世紀』監督/三隅研次 出演/丹波哲郎 滝田裕介 織本順吉 草野大悟 1971年 朝日放送国際放映。第8話と第9話に尊王攘夷派の志士 田中河内介役で主演された丹波哲郎さんの抱き合わせとして私も1862年(文久2年)の寺田屋事件を題材にした第9話「急流」に出演しました。薩摩藩内の尊王攘夷派の暴発を恐れる藩主島津久光の命を受けた奈良原喜八郎たちと過激派の志士たちは京都伏見の船宿寺田屋で同じ薩摩藩同士で斬り合いになり尊王攘夷過激派は鎮圧されます。寺田屋にいた田中河内介は捕縛され、薩摩へ護送途中の船上で斬殺されて海に投げ棄てられることになります。 

松方弘樹さんを偲んで

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映画『恐喝こそわが人生』監督/深作欣二 出演/松方弘樹 丹波哲郎 佐藤友美 室田日出男 1968年公開 松竹。 私が松竹大船撮影所の俳優部に入って2年目の仕事です。当時、松竹映画は人情喜劇が多かったんですが、『仁義なき戦い』『赤穂城断絶』で有名な、東映深作欣二監督の手にかかれば松竹でも東映調の面白いアクション映画ができるんだと、映画館で感心しながら観たのがこの映画です。私は恐喝が目的で、ラブホテルで盗み撮りをするカメラマンの役として出演しました。又、背格好が同じ位なのでワンカットですが松方さんの後ろ姿の吹き替えもやっています。松方さんとは生まれた年が一緒だったんで個人的に親近感を覚えていました。2017年1月21日、松方さんが亡くなられたことをニュ-スで知り、当時の思い出と共に松方さんを偲ぶために『恐喝こそわが人生』をDVDで購入して観ました。あらためて観直してみると、この映画には丹波哲郎さんも作品に重みを出す為に出演しています。撮影の時は、まさか後年、私が丹波さんの弟子になり丹波プロダクションで仕事をするようになるとは夢にも思いませんでした、人生とは面白いものですネ。(上の写真は映画とは関係ありませんが無いよりましでしょう)

左とん平さんを偲んで

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今日、左とん平さんが亡くなられた事を知り、お悔やみの気持ちを込めて一度だけですが仕事を御一緒させていただいた時の事を書いてみます。映画『喜劇・黄綬褒章』監督/井上和男 出演/森繁久彌黒沢年男市原悦子大原麗子、1973年公開 東宝。各家庭の糞尿を吸収するバキュ-ムカ-を運営する清掃会社を舞台にした森繁久彌さんの喜劇です。丹波プロの小林マネ-ジャ-が取っきてくれた仕事で私の役は左とん平さん演じるやくざの兄貴分です。朝、砧の東宝撮影所の現場へ行くと井上和男監督が台本を持ってきて「このシ-ンは変わりましたので準備の間に覚えてください」言われました。見ると1ペ-ジ半はあります。さぁ大変です。15分くらいしかありませんが「覚えられません」とは言えないからとん平さんと東宝の喫茶室へ行って、セリフの量は結構あったんですが必死で覚えた記憶があります。この映画でご縁をいただいて撮影のときにとん平さんに案内されて東宝撮影所近くにあった森繁さんのご自宅に遊びに行きました。また、ミュ-ジカルを観た事の無い私が森繁さんの当たり役だったユダヤ人の牛乳屋ティヴエに扮した東宝大ヒットミュ-ジカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の公演を観に行ったときに帝国劇場の楽屋へ遊びに行ったのも楽しい想い出です。原田君事もその内、丹波さんの言っておられたそちらの世界へ行きますので森繁さんによろしく言って下さい。ご冥福を心よりお祈りいたします。 

精神(こころ)の法則

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今日は、最近弛んでいる自分に気合を入れるため初心に戻ってみる。人生の優勝劣敗を決定づける精神の法則がある。人間のからだも、この法則に支配されている。絶妙にして偉大な精神の法則がある。「精神の第一法則」思い込む事は必ず実現する!。「精神の第二法則」習慣的なプラスの感情は人生を勝利に導き、習慣的なマイナスの感情は人生を劣敗に導く。「精神の第三の法則」第一次のマイナスの感情は劣敗の原因となり、第二次のマイナスの感情は劣敗に拍車をかけ、第三次のマイナスの感情は劣敗に安住せしめ、第四次のマイナスの感情は劣敗を再発せしめる。「精神の第四法則」気にすれば気にするほどわるくなる!。「巽直道 著書より」 さあ!気合を入れてやりなおします。         

池部良さんの付き人をして

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さむらいプロダクションに所属しましたが、初の仕事でNGを連発し社長に叱られ最初から勉強のやりなおしということで、池部良さんという大スタ-さんの付き人をすることになりました。作品は鶴田浩二さん主演の『日本暴力団 組長くずれ』です。横浜が舞台になる日本暴力団シリ-ズの第3作です、付き人といっても椅子を準備したり撮影台本を手渡したりする位で、私の場合は撮影現場を体験して勉強することが主な仕事です。撮影の初日、池部さんは早めにセットへ入られ一番奥で椅子に座って撮影準備が出来るのを待たれていました。私は池辺さんの横に立っています。そこへ主演の鶴田さんの入場です。実は丹波哲郎さん、石原裕次郎さんを別格にすれば、私の一番好きな俳優は鶴田浩二さんです、少し崩れた感じプラス男の色気、男が男に惚れるというのはこういう人じゃないんですかね、東映映画『人生劇場 飛車角』や『博奕打ち 総長賭博』など忘れられない役柄が一杯あります。社長に叱られて付き人になったんですがなにが幸いするか分りません。まさか憧れの鶴田浩二さんに会えるとは夢にも思っていませんでした。セットに入ってくる鶴田天皇(愛称)にスタッフ全員が丁重に挨拶します。それに対して「オゥ」「オゥ」と応対しながらゆっくりと奥の方まで進んできて、池部さんの存在に気づくと態度がサッと変わって直立不動の姿勢になり「先輩、ご無沙汰してます」その挨拶のカッコ良いこと。又挨拶を受けた池部さんも椅子に座ったまま「浩ちゃん、世話になるよ」とにこやかな笑顔です。この二人のやり取りは、まるで映画を観ているようでシビレてしまいました。(皆さんにも見せたい位です、キッと鶴田ファンになると思います)私が心を奪われた鶴田浩二という大スタ-がきちんと礼儀を尽くして接するほど、今、付き人をしている池部良という俳優の存在は大きいんです。鶴田さんが池部さんの隣に立っている私に「池部さんの処の人か?」と訊ねられ「はい」と返事をすると「先輩はいい人だろう」と優しく声を掛けていただきました。後日、お会いしたときも私の事を覚えていてくださり気安く声を掛けてくださいました。お二人とも亡くなられましたが、東映大泉撮影所での状況を思い出しながら、こうして文章を書いているだけであの時の興奮が蘇ってきます。今日はいい夢が見られるでしょう。  追筆:この映画の写真は載せられないので映画、TVに関係の無い私の写真を無いよりマシだと思って載せます。

映画『人間革命』(4)

 

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私の役は四条金吾、有名な竜の口の法難のシ-ンで日蓮大聖人が今まさに処刑されようとするのを処刑場の外から見ているんですが、舛田利雄監督から「原田、涙を流しながら南無妙法蓮華経とお題目をあげてくれ」と声が掛かります。自慢じゃないが私の演技力では最初から無理な注文だと自分が一番良く知ってるんで、泣こうなんて努力は最初から一切せずに「すいません、目薬をお願いします」と云うと舛田監督が呆れながら「原田が目薬だってよ!」とメイク係りに指示したのを覚えています。まあ、私という男はこんなもんですが。泣きの演技と云えば丹波さんの付き人として撮影現場に立ち会った東宝映画『日本沈没』では、山本総理大臣役の丹波さんが島田正吾さん扮する日本の黒幕である渡老人の枕元に座り渡老人の手を握って泣くシ-ンが印象に残っています。映画『八甲田山』で有名な、森谷司郎監督の「静かに!」と言う声にセットの中はシ-ンとして緊迫した雰囲気が漂っています。丹波さんが神経を集中させてから何十秒か経って、いや、二、三分は経っていたかも知れません突如、両の目から涙が溢れ出し鼻水まで垂れてセリフに続いていきます。「これが本当の俳優の演技なんだなぁ」感動して鳥肌が立ちました。一流の俳優なら感情をコントロ-ルして涙を流すこともできるんでしょうが、私にはとても無理な話です。今、この文章を書いていて私は俳優という職業を選んだのが間違いだったのだと気付かされました。現実を認めるというのは淋しいですね。