kunji5522’s diary

原田君事の俳優になったきっかけから俳優業18年の思い出

映画『仁義なき戦い/代理戦争』

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監督/深作欣二。出演/菅原文太小林旭渡瀬恒彦・梅宮辰夫・室田日出男丹波哲郎。映画『仁義なき戦い』の第3作ですが、この『仁義なき戦い/代理戦争』こそが第1作の集団抗争劇を時系列的に引き継ぐ続篇としてふさわしい内容になっています。第2作の『仁義なき戦い/広島死闘篇』は山中正治と大友勝利(北大路欣也さんと千葉真一さん)という二人のやくざに焦点を合わせた展開で私は大好きなんですが集団抗争劇の『仁義なき戦い』の中では番外篇的扱いが相応しい気がします。留めのスタ-と言われた我が師匠、丹波哲郎さんは明石組組長の明石辰男役で出演しています。出演と云ってもほぼ白黒写真での登場なんですが明石組組長の実在のモデルは神戸の山口組三代目田岡一雄さんです。私は

抱き合わせ出演で早川組組員の谷川義明を演じています。早川組は明石組系打本会に所属していて、映画には打本会事務所の看板の前で撮影した白黒の集合写真が大きく出てくるんですが、写真の中央、打本会長役の加藤武さんの背後で事務所看板の右側に私が写っています。早川組組員役の私は早川組組長役の室田日出男さんの側に付いていて、室田さんが小林旭さん演じる村岡組幹部の武田と電話してる場面では室田さんの横に立っていて結構目立っています。その後、早川組は打本会を裏切ってパチンコ屋の2階にある打本会事務所を襲撃します。銃弾が乱れ飛び2階からトイレットペ-パ-が大量に降ってくるなど襲撃現場は大混乱で、銃撃戦にはもちろん参加しています。白バイのサイレンが聞こえてくると車に乗っていた早川組組長の室田さんはビビッて一人で逃げてしまいます。置き去りにされた私たち組員はあたふたしながら白バイから逃げ回ります。「文章だけではつまらないので、写真を載せたいんですが著作権の問題があるので映画とは関係はありませんが個人的に親しいスチ-ルマンに撮ってもらつた写真がありますのでそれを載せます。」 

映画『神戸国際ギャング』

監督/田中登。 出演/高倉健 菅原文太 丹波哲郎。1975年公開。東映京都撮影所。                               戦後の神戸三宮を舞台にした軽快なジャズの流れる映画『神戸国際ギャング』に丹波哲郎さんは三国人連盟の会長の朴役で出演され、私は朴会長の代貸し役で丹波さんの横に付いています。劇場のロビ-カ-ド用に撮られたカラ-スチ-ル写真の中に私が写っているお気に入りの1枚が我が家にあります。三国人連盟の朴会長の事務所に団正人と大滝健三が乗り込んできた場面で応接セットの左右で両者が睨み合うカットなんですが、日本映画界を代表する俳優である高倉健さん・菅原文太さん・丹波哲郎さんそして私という4大スタ-(?)の競演写真です。この作品は高倉健さんの東映専属最後の作品で、菅原文太さんと共演した最後の作品でもあります。健さんの役柄は任侠映画のいつもの健さんとは別人のようで、ラストの両者共倒れの展開も含めて賛否が別れる気がします。文太さんの機関銃射撃を受けた健さんの姿が静止画になって、映画は健さんの死を暗示するんですが、実際の撮影では健さんは銃撃を受けた後、階下まで落下して大怪我をすることになります。この作品で健さんが演じる団正人の実在のモデルは神戸の愚連隊から菅谷組組長に勢力を拡大した菅谷政雄さんです。本来は東映の実録やくざ路線の作品として分類されるはずなんですが、この映画『神戸国際ギャング』には実録やくざ路線の匂いどころか東映映画の匂いすらしない仕上がりになっています・・・・。でも私、原田君事としては、やくざ映画に出演した

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くって俳優になり、神戸を舞台にした作品で、やくざの役を演じ、高倉健さん・菅原文太さん・師匠、丹波哲郎さんと一緒に写ったロビ-カ-ドまである夢を実現させた作品です。著作権の問題があるのでここでは写真を載せることが出来ないのは残念ですが、他で見てください。

                                                             

原田君事からのお知らせ

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華やかなスタ-たちが銀幕を彩った映画の黄金期はすでに去り、時代は、日本映画が衰退期に入った1967年頃、厳しい現実が待っている松竹大船なのですが、そのときの私は何も分らず、人に煽てられ。ただ映画スタ-になれると信じて親の反対を押し切り、ボストンバッグ2つを持って、見送りに来た当時付き合っていた彼女を神戸駅のホ-ムに残したまま夜行列車「銀河」に飛び乗りました・・・。                               電子書籍パブ-より出版しました、原田君事の18年間の俳優時代を書き綴った”映画『八甲田山』のふんどし男75”を一人でも多くの方に読んでいただきたいという想いから、期間限定ですが、1200円を無料でダウンロ-ド出来るようにしましたので、暇つぶしにみてくだされば、無い知恵を振り絞って書いた私としては幸せです!       

恩人 松井八郎先生を偲んで(1)

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作曲家/ジャズピアニスト。淡谷のり子、春日八郎、越路吹雪森繁久弥などの歌手へ楽曲を提供。ハナ肇の才能を見出し、メジャ-デビュ-のきっかけを作った。日本映画の音楽も担当し、代表作は映画『三等重役』東宝。映画『大当たり狸御殿』宝塚映画/東宝。映画『ジャンケン娘』東宝。映画『サザエさんの青春』東宝。映画『生きものの記録』東宝。映画『青島要塞爆撃命令』東宝。松竹大船撮影所の俳優部を退社して、世の中が大阪万博日本万国博覧会)の開幕に浮かれている頃、銀座のクラブで働いている女性に飯を食わせて貰いながら「俺はいったい何をやってんだろう。フリ-の俳優なんて単なるいい訳だし、外人専門クラブのママのボディガ-ドやホテルオークラのキッチンで鍋洗いをするために親父の反対を押し切って神戸から出てきたんじゃない。心機一転、とにかく何とかしなくっちゃ!と普段使い惜しみをしていた悩ミソを絞り出して真剣に将来を考えるようになりました。考えれば考えるほど遠ざかっていた芸能界や役者の仕事にまた戻りたいという気持ちが強くなり、藁にもすがる気持ちで電話をしたのが日本作曲家協会です。石原裕次郎さんのヒット曲「泣かせるぜ」「逢えるじゃないかまたあした」の作詞家、滝田順さんが経営をしていた青山のクラブでアルバイトをしていたときにお客さんとして店に来られていた作曲家の松井八郎先生の自宅の電話番号を尋ねました。糸くずほどの細い縁であっても、頼んでみなけりゃ分りません。たとえ出たとこ勝負でも突き進むしか仕方ないんです。

 

名匠 三隅研次監督との出会い(7)

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何の作品で太秦東映京都撮影所へ行っていたのか忘れましたが、その日は撮影がなかったんで旅館で何気なく新聞を読んでいたら『映画監督の三隅研次入院』の記事が載っていました。慌てて病院の場所を旅館で尋ねて見舞いに行きました。私が病室に顔を出すと起き上がり「一月もしたら、また仕事が出来るよ。そのときは声を掛けてやるから」と言われました。私は調子に乗って「一度でいいから平手造酒(ひらて みき)を演ってみたいんです」と大好きな浪曲「天保水滸伝」で有名な剣客の名を出すと、監督は「前に『座頭市物語』で天知茂君に平手造酒をやってもらった」とそのときのことを話してくださり「おっさんが俳優人生を賭ける気で臨んでくるんなら撮りまっせ」と元気そうに笑っておられました。それが三隅監督にお会いした最後になってしまいました。私が病室を訪ねた一ヶ月後に三隅研次監督は肝臓ガンで亡くなりました。まだ54歳という若さでした。個性が強くて、厳しい監督だったとか、怖い監督だったとよく耳にしますが、私には甘えられ冗談の言えるやさしい人でした、私のような芝居も出来ない俳優を使って、失敗をして、自分に迷惑が掛かるかも知れなのに役を膨らませてくれた大恩人!あの世とやらがあるのなら、再会して芝居の基本を徹底的に叩き込んでもらって俳優としてもう一度勝負をしてみたい。原田君事を男にして下さい、お願いします。 追伸・電子書籍パブ-にも三隅研次先生の事をくわしく書いていますので、読んでみて下さい。

名匠 三隅研次監督を偲んで(6)

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映画『狼よ落日を斬れ』風雲篇・激情篇・怒涛篇。 原作/池波正太郎 監督/三隅研次 出演/高橋英樹 松坂慶子 緒形拳 近藤正臣 西郷輝彦 1974年公開 松竹。三隅研次監督の最後の作品となった映画『狼よ落日を斬れ』にも出演させていただきました。映画『砂の器』の撮影で丹波さんと一緒に松竹大船撮影所へ行ったとき、撮影所の撮影予定が張ってあるボ-ドに、『狼よ落日を斬れ』三隅組と書いてあります。「あれ、三隅監督が大船で撮影してるんだ、私に一言声をかけてくれればいいのにと寂しい気持ちなりました。」それから、松竹出身の私としてはかって知ったる演技課へ行って、「三隅監督が、こちらで撮影をしてるんですか?」と聞きますと「そうだよ、何だったら絡みの斬られ役で使ってやろうか」と言われたので、「結構です」と断りました。演技課を出て廊下を歩いていると、偶然監督さんと会いました。挨拶をして、少し不満げに使って貰えなかった愚痴を言いますと「声を掛けたが、他の仕事が入っているから」と断られたと言う返事です。そこで、「そんな話しは聞いていないし、もしそうなら他の仕事は断ります」と云ってうちの事務所に電話をいれると、松竹から電話が入っていないとの返事を聞きその事を三隅監督に報告しますと、「よし、判った」と云って台本を書き換え官軍の役を作ってくださいました。幕臣の斬られ役から官軍の斬る役へ昇格できた訳です。戊辰戦争を描いた怒涛篇で私は西郷隆盛付きの仕官として画面に映っていて辰巳柳太郎さん扮する西郷隆盛の背後に立っています。赤熊(シャグマ)と云う赤い毛付き陣笠を被っているんでよく判別ができます。西郷さん付きから緒形拳さん演じる中村半次郎(人斬り半次郎/後の桐野利秋)付きになってからは準主役の緒形拳さんの近くにいるんで結構映っています。結核の病床で喀血して死んだ西郷輝彦さん演じる新撰組沖田総司が隠れ住んでいた家に幕臣の残党狩りで捜索にいく場面とか、上野戦争の立ち回りの場面にも何度かフレ-ムインしています。特に上野寛永寺に立てこもった彰義隊との斬り合いになる上野戦争では赤毛を振り乱しながら戦っているんで結構目立っています。

 

 

名匠 三隅研次監督との出会い(5)

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翌日、友達と待っていると監督さんが自ら車を運転して迎えに来てくださり、お気に入りの喫茶店を三軒もハシゴして内容は忘れましたがいろんな話しを聞いた記憶が残っています。こだわりの強い三隅監督は大のコ-ヒ-好きで酒は全く呑まない方でした。勝プロと制作を進めていた若山富三郎さん主演の子連れ狼シリ-ズの第一作映画『子連れ狼/子を貸し腕貸しつかまつる』の準備で忙しい頃でしたが自宅にも案内していただき大映倒産後の京都撮影所のことや映画の事など、いろいろと聞かせていただきました。特に大五郎役の富川晶宏君が名子役で、その演技力を絶賛されていたのをよく覚えています。